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【超訳 ノーベル経済学賞2019】貧困がなくならないのは、貧乏人が努力しないからなのだろうか

私は、ついに出逢ってしまいました。最高の一冊に。

それは、2019年度ノーベル経済学賞を受賞したマサチューセッツ工科大学のA.V.バナジー教授とE.デュフロ教授の「貧乏人の経済学  - もういちど貧困問題を根っこから考える」です(以下、本書)。


ランダム化対照試行(RCT)という手法を活用して、世界の貧困問題という、ともすればスケールが大きすぎる社会問題に、めちゃくちゃ具体的かつ科学的に解決方法を提示し、かつ実践してきたというのが受賞の理由です。

著者たちは世界中の貧困で苦しんでいる人たちのところに出向き、話をし、地域の文化風習を調べあげ、その人たちの日々の生活の意思決定プロセスを明らかにしていきました。

そこで明らかになったのは、「貧乏人」と呼ばれ様々な偏見に晒されている人たちも、実は私たちと1mmも変わらない普通の人だということ。

今日より明日をより良くしようと思い、その為に合理的に行動しています。でも、これまでの国際援助は自分たちが勝手に思い描く「貧乏人」に対する支援を行っており、その結果どれくらい何が改善したのか、効果検証を十分に行っていませんでした…

それが世界的な貧困が今に至るまでなくならない理由の一端であることを明らかにしたのが本書です。

そんなわけで今回は、著者たちが明らかにしてくれた「貧乏人」を取り巻く本当の問題の一端をみていきたいと思います!


貧乏人の「無駄遣い」

貧困、と聞いて多くの人がイメージするのは飢餓問題です。

貧しくて、ろくに食べることができず、小さな子どもがガリガリに痩せ細ってお腹だけがぽっこり出ている痛ましい映像が頭に浮かびます。とにかく、食糧が足りていない…!

この深刻な飢餓問題は国連のミレニアム開発目標でもターゲットにされています。実際、著者たちのグループが現地に入って1日99セント以下のお収入で生活している人たち(極貧層)に話を聞いてみるとやはり「私たちはお金がなくてろくに食べ物を買うことができず、腹も減るし、栄養不足でまともに働けない」と言います。

ところが、彼らの生活をつぶさに調査してみると、彼らの多くが餓死寸前とは思えない意思決定を日々していることが判明しました。仮に彼らが餓死寸前だとすれば、なけなしのお金はすべて食糧につぎ込むはずです。

しかし、18ヵ国の極貧層の人々のデータを取ってみると、なんと収入の36% ~ 79%しか食べ物に使っていないのです。

しかも、残りのお金を他の必需品(薬とか衣類とか)に使っているかと思いきや、生きる為には全く必要のないアルコール、タバコ、そして地元のお祭りへ支出したりしています。テレビやDVDプレイヤーの為にせっせと貯金している人すらいます…!これらの支出をカットすれば、食費はあと3割も増やせるのに…!!

彼らが臨時収入を何に使うか調査してみると、この行動パターンがさらに浮き彫りになります。例えばインドのマハラシュトラ州の極貧層では、なんらかの理由で収入が1%増加したとしても、食費は0.67%しか増加しません。

さらに驚くべきこととして、この少ないながらも増額された食費の内訳を見てみると、栄養価が高くてコスパの良いモノ(バナナ、卵とか)ではなくて、ちょっと高価な贅沢品(砂糖の入った紅茶とか)を購入しています。これは栄養補給という観点からすると恐ろしく非効率です。

でも、彼らは食べ物が少なくて困っていると言いますし、実際に健康診断をしてみると栄養不足です。健康に生きていくのに必須の様々な栄養素が足りていません。しかし本来、彼らはこの食糧問題をある程度は解決できるはずなのです。(※)

※ ただし、戦争や自然災害で被害を受けている地域は別です。そこでは食糧にせよ医療にせよ絶対量が不足しています。


この状況では、そもそも「食糧を届ける」という援助は、貧困状態から脱出させるサポートという意味ではあまり効果的とはいえません。仮に食糧を届けられても、彼らは浮いたお金で別の贅沢品を買ってしまうわけですから。

こういう情報が出てくると、多くのお金持ちの国の人たち(私たち)は彼らのことをこう非難します。 バカだ、無責任だ、忍耐がなさすぎる、と。

少しでも栄養のあるものをたくさん食べて、その分しっかり働いて稼ぐなり、そうでなけりゃ貯金して教育資金とかに当てればいいだろ、と。

なんだか、日本でも生活保護受給者を「税金をパチンコやタバコにつぎ込んでる!」とかいってバッシングする構図と似ている気がするぞ…

でも、本当にそうなのでしょうか?

貧乏人がバカで無責任で忍耐がないから、本来使うべき用途にお金を使わず、いつまで経っても貧困状態から脱出することができないのでしょうか?


「無駄遣い」の「合理的」な理由

ここでまず考えなければならないのは、 仮に彼らが(美味しくはなくとも)コスパよく栄養を摂取できる食品に無駄なく投資したとして、それで貧困からいずれは脱出できるのか、ということです。

答えは、否

というのも、極貧層の人たちがどうやって日々お金を稼いでいるかというと、人に雇われての肉体労働(農業とか建築現場)です。しかも、ほとんどの場合は日雇い。そして、これは定額制です。つまり、頑張って働くだけ損をすることになります。

食べ物にがっつり投資して、一生懸命カロリーを消費して働いても、お給料は全く変化しません。「じゃあ、食べ物は必要最小限でいいかな…」ってなりますよねそりゃ。(これ個人的にめっちゃ経験あります…)

その証拠に、出来高払いと定額賃金の両方の賃金体系で働いている人を調査したところ、出来高払いで働く日には定額賃金で働く日と比べて25%も多く食べるそうです。

そりゃそうですよね。一生懸命 働けばそれだけ収入が増すわけですから、カロリーを摂取するのは合理的です。

さらにいえば、仕事がある場合はまだマシです。私も以前は「極貧層の人々はキッツイ肉体労働で年がら年中こき使われてクタクタに違いない… 」と想像していたのですが、実態は全く違いました。

多くの場合、そもそも働き口がなく、週に数日しか働けないのです。場合によっては何ヶ月も仕事がないことも珍しくありません。彼らは暇を持て余しているのです。

なけなしのお金を食事に投資したとしても、それを発揮する仕事の機会がそもそも存在していません。だったら、むしろこの暇な時間をどうにかしたい!と思ってしまうのが人の性…

つまり、極貧生活を強いられている人々にとって、退屈から救ってくれるモノの方が食糧よりも遥かに優先順位が高いのです…!そっちの方が、彼らの視点だと合理的な選択となります。

※ 繰り返しますが、戦争や自然災害で被害を受けている地域は別です。そしてそういうケースは非常にたくさんあります。


しかし、それはどうなんだ…?

「合理的」って言ったって、適切な栄養を、特に幼少期にしっかりと摂取すればその後の教育達成度や社会に出てからの収入が増すことは多くの研究が明らかにしているところ。

例えば、本書で紹介されている研究によれば、タンザニアでは妊娠中に十分なヨウ素を摂取した母親の子どもは、そうでない母親の子どもと比べて、4ヶ月 〜 6ヶ月ほど長く学校に通います。

もし全ての母親がヨウ素カプセルを妊娠中に摂取すれば、中央アフリカとアフリカ南部では教育達成度が7.5%も上がる、というのがこの研究の結論です。そして、この差はその後の生涯年収にきっちり現れてきます。

そしてこのヨウ素は、例え極貧層(1日99セント以下での生活)の人々であっても購入できます。2年に1錠飲めばよいヨウ素剤は、1錠たったの51セント!ひと月のコストに換算すれば約1セント!

これならどう考えても、贅沢品をほんの少しだけ我慢してヨウ素剤を購入した方がお得です。長く教育を受けられればそれだけ、日雇いの肉体労働とは別の、安定した正社員の職を得られる可能性が出てきます。

しかし、このヨウ素剤のような子どもの将来をよりよくする可能性(ほぼ確実)をもった食品ですら、例えそこに補助金を投入して無料同然にしたとしても、極貧層の多くは継続して購入してはくれません。

これは先に述べた「栄養をとっても目の前の収入が増えることがないから、できる限りコストはかけない」という彼らの意思決定の理由と矛盾するように思えます。


体験から「正しい」を導くことはできない

彼らの立場になって考えてみるとどうでしょうか。普段まったく聞き慣れない「ようそ」とかいう謎の栄養素を「子どもの健康に良いから定期的に摂取しなさい」と知らない人に言われてどう感じるか。

そして彼らは人生の中で、そういう人の「善意」に何度も騙されている経験をもっています。

う〜ん…

確かに、この状況では素直になけなしのお金を投資する人は多くないかも知れません…。とはいっても、これまでみてきた通り、彼らは非常に合理的に意思決定をするので、例えば先に紹介したヨウ素剤を摂取することによって「体験的」に生活が改善する事例を目撃すれば考えも変わるでしょう。

しかし残念ながら、こういう栄養素を摂取しても、その効果が如実に現れるのは何年も先の話ですし、しかも、因果関係は直感的にわかりません。

何年後かに「うちの奥さんが娘を身篭っていたときに、ヨウ素剤を摂取したから、うちの娘は他の家の子よりも4ヶ月長く学校に行ったんだぜ!」とは、どう考えてもなりません。いくら科学的にある栄養素の摂取がめっちゃコスパ良いことが証明されていても、その効果がいつ、どれくらい現れるのかわからないのでは、目の前の貧困に喘いでいる人がなけなしのお金を継続的に使う納得感にはつながらないのかも知れません。


そしてもう一つ。

とても重要なこととして、彼らは未来の機会や可能性というものについて我々が想像する以上に懐疑的です。

幼い頃から、貧困状態から脱出しようともがいて足掻いて努力して、、、しかしそれを尽く理不尽に潰され続けています。どんなに努力して農作物を育てても天候ひとつで台無しにされ、めちゃくちゃな金利で借金して事業を始めても大抵は失敗。借金は膨らんでいくばかり。

歯を食いしばって将来に備えて貯金しようにも、銀行口座は作らせてもらえないし、家に貯金してたら盗まれたり、それこそ誘惑に負けて自分で使い込んでしまったり…

こんなことが続く日々の中で、彼らは「今日努力すれば、明日はきっと今より良くなる」という楽観論を信じられなくなっています。


でもここまで見てきた通り、なんでもいいから「食糧」を届けるのではなく、科学的に効果が証明されている適切な栄養素に的を絞れば、彼らの生活(特に幼少期の子どもたち)が将来劇的に改善することはわかっています。

そしてそれはコスト的にも可能です。本当に小さな投資で、大きな変化が起こせる大チャンス。栄養という切り口での貧困対策は明らかに、もう一歩で彼らに届きます。

まさに、ラストワンマイル…!

何か手はないのでしょうか…!!


デフォルトの選択肢をデザインする

現在この栄養分野で貧困問題に取り組んでいる最先端の組織は「デフォルトの選択肢」をデザインすることで劇的な効果をあげています。

例えば、人々が日常的な食生活の中で口にしているものに必要な付加的栄養素をあらかじめ混ぜる、という仕組みです。

例えばコロンビアでは、保育園で微量栄養素の粉末を食事に混ぜています。鉄分とヨウ素の栄養素が強化された新しい食塩がインドなど数カ国で認可されています。これで今まで通り食塩を使えば、これまで取れなかった栄養が摂取できるわけです。

こうすれば、何も考えないで生活していたら必要な栄養素を摂取することになり、逆に、それを摂取しないためには意思決定(精神的コスト)が必要となります。

この方法で、各地域の貧困コミュニティで著しい効果があげられるようになりました…!!

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一方、こういった提案をすると必ず出てくる批判があります。

「そんなことまで御膳立てしないといけないのか!」

「甘やかしすぎる!」

「それじゃ彼らが自立できない!」

等々です。

でも冷静になって考えてみると、実は、私たちの生活はこの「デフォルトの選択肢」だらけです。

食生活、医療、教育、福祉、等々… 何から何まで、私たちは日々の生活で特別な意思決定をしなくとも、ある程度良きように生活していける仕組みが社会の中で出来あがっています。少なくとも、発展途上国で極貧状態で生活している人々よりは。

例えば、日本で子どもを小学校に進学させるか悩む親はいません。

そして小学校に入れば栄養バランスが考えられたメニューが給食で出てきます。就職すれば社会保険料は給与から天引きされており、いざ怪我をしたりしたときは格安で適切な医療を受けることができます。

発展途上国で貧困状態にある人たちは、これらの仕組みすら存在しない中で、自分たち自身で日々どうすればより良い生活をおくれるか、極めて限られた情報を頼りに判断し、実行し続けなければならないのです。

一方 私はといえば、(毎年の…)新年の誓いでたてた、継続的なランニングやジム通いすらまともにやり抜けない有様です。絶対そっちの方が健康に良いのはわかりきっているのに…!意志が弱すぎる…

そんな彼らに向かって私ごときが「どうしてもっと努力できないの?」とか言うのは、あまりに厚顔無恥と感じてしまうのです。


ゴールポストを近づけろ

そしてもうひとつ、彼らに無駄遣いせずしっかり栄養をとってもらうために、とても大切なことがあります。それは彼らに「現実的」な将来の希望を持ってもらうことです。

これは決して精神論ではありません。

例えば、ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏のマイクロファイナンスによる融資です。このマイクロ融資でまとまったお金が借りられるようになったときの極貧層の人々のお金の使い道の変化は衝撃的です。

なんと、アルコールやお菓子といった、栄養とは無関係の贅沢に費やす支出が劇的に減少しました。

これは、平均的な世帯がこうしたものにかけてしまう金額の85%に相当します。切り詰めたお金は、必要な栄養の摂取や貯蓄へと回されていたのです。「頑張ればなんとかなるかもしれない」と思うことができたからです。

普段の彼らの生活はあまりに八方塞がりで、将来はハッキリって絶望的。夢や目標があまりに遠すぎると、人は努力できないものです。

その努力は、無駄になってしまうかもしれないから。

でも先ほどのマイクロ融資のように、リアリティのある希望が見えるようになると、人は劇的に変われます。

マイクロファイナンス以外にも、例えば安定した雇用(高い賃金ではなく、安定して毎月お給料を得られることが重要)などが同じような効果を人々にもたらすことが確認されています。

この希望さえあれば、彼らは自力で自らの境遇を変える力を持つことができます。私たちが援助を通して本当に実現しなければならないのは、今回話題に取り上げた栄養面だけでなく、教育、医療、福祉、その他様々な分野で、各地域に住む人々の本質的な課題を抽出し、それを解決する施策を積み重ねていくことで彼らが現実的な希望を見出せるところまで手を差し伸べ続けることなのです。

いわば、ゴールポストを精一杯彼らに近づけてあげて、もう一度ボールを蹴る勇気を持ってもらうことだと思うんです。


そして私は、これって、日本でも全く同じなんじゃないのかと思うのです。現在日本では6人に1人が相対的貧困状態にあります。私たちの視点で、そういった人たちの日々の行動や意思決定をみて

「だからダメなんだ」

「バカだ」

「無責任だ」

というのは簡単かもしれませんが、事態は1mmも改善しません。なぜなら、的外れだからです。

本書が明らかにした通り、貧困で苦しんでいる人たちも、実は私たちとまったく同じように自分たちの置かれた状況の中で最も合理的と思われる行動をとっています。

だからこそ、 なぜ彼らがそういった境遇におかれているのか、 どうして一見して不合理な行動を取るのか、 どうすればより良い方向に向かえるのか、ここに正面から向き合って適切な解決策を積み重ねていくことが必要なのです。

これがノーベル経済学賞を受賞した知性が結論づけた、最も合理的な貧困対策です。


ゴールポストを近づけよう!

今回のエントリでは特に栄養面に関する話題を超訳しましたが、本書ではこの他に医療、教育、家族計画、ビジネス、金融、政治、などについて、貧困層の人々の実態と、本質的課題、そしてその解決策について超具体的に取り上げられています。社会問題に興味がある人には必読!


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