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不幸?

ご自身が「不幸である」と考えているひとは、けっこう居ます。
ご依頼をいただくお客さまからも、「今の自分は不幸だ」とお聞きすることもあります。
でも、私から見ると、別に不幸じゃないけどな、と思うことの方が多いです。

私が思う『不幸』っていうのは、気づけないこと。気づかない、ではなくて、気づけない。
有るということ、足るということに、気づけない。
ひとはいろんな経験をしたり、誰かと接したりして、『気づき』を得ていく生き物です。
初めから気づきを得る聡い子も居れば、年齢を重ねていきながら得ていくひとも居る。
概ね、気づくんですけど、気づけないひとって、ちゃんと存在するのです。

逆に『気づかない』ひとって、幸せですよね。
自分が頭いいと思ってたり、下っ手くそなのに上手いと思い込んでたり、自分は全然悪くないって信じ込んでいたり。
自己肯定マンなので、そういうひとたち、幸せですよね。


私が思うもうひとつの『不幸』は、不幸と言ってしまっていいか分からないけど、辛い道を歩むこと。最も大きいのは、『後悔をしながら生きていくこと』です。
普通のひとだったら、一つや二つくらい、やらかした経験があったりします。だけど、経験したことに対する後悔って、意外と浅くて薄いものです。
本当の後悔は、『行動しなかったこと』から生まれて来ます。


人の生というのは、とても面白くできていて、必ず、その生のなかで花開く瞬間があるのです。
得意なことに気づいたり、できなかったことができるようになったり、使命を見出すときだってある。

気づけないひとは、その匂いを嗅ぎ分けられない。
行動しないひとは、チャンスを掴めない。スタートラインに立つことすらしない。


幸福か不幸かは、ひとに決められるものではないし、そのひとがそれで良ければいいんだけど、それでも思うのです。
「ああ、もったいない生き方してるな」って。
私は助けを求められたら力を貸すけど、基本的に傍観者なので、余計な手出しはしたりしません。
そのひとの道で、そのひとの生だから。

例外的に、同業、同じ世界を志してるひとに対しては、「それは違うよ」とか「もう少し自分を見つめてみようか」とか、声を掛けることはします。
でも、『答え』は提示しない。
そのひとの心がどこを向いているのか、何を掴もうとしているのか、見守るだけです。
自分で気づいて腹落ちしないと、意味ないからね。


で、冒頭の話に戻るけど、「自分は不幸だ」って言ってるひとは、あんまり不幸ではなくて、ただ喚きたいんですよね。誰かの気を引きたかったり、『自分不幸』に酔ってるところもある。
そこから抜け出せないで、いつまでも「不幸だ、不幸だ」って言い続けてるひとは、確かに不幸ですね。
でも、そんなひとは、放っておくのが一番。
好きで不幸にしがみついてるだけだから。


私は幸せになりたいひとをサポートするのがお仕事なので、必要なときに手を差しのべて、必要なときに言葉をかけて、必要なときに背中を押します。

幸せかどうか、分からないひとは、気づくことに力を注いでみてください。
比べないでね。
あのひとに比べたらマシ、とか、そういうのはダメです。
過不足なく暮らせているから幸せ、とかでもありません。
自分に感謝をして、世界に感謝をして、自分に向き合ってみてください。

感謝がないひとを、我々は不幸と呼びます。
まあ、それも有りなんですけどね、ご本人の自由な選択だから。


今、『不幸』なあなたは、チャンスがあることに気づいてください。
幸せになるチャンス。
地球は行動の星だから、動かないと始まらないのです。
いっぱい動いて。もがいて。
必ず、届くから。


読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。


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