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いい感じ


以前、某百貨店でレジの仕事をしていました。
百貨店のレジは、とてもむずかしいお仕事です。
商品ごとや、催事ごとに入力の仕方が異なりますし、返品を求められた際の『戻り』処理など、それぞれを瞬時に判断して操作しなくてはなりません。

また、商品券なども、どれが使えてどれが使えないか、把握していなければいけません。(どうしても分からない場合には、サポートセンターがあって、問い合わせることができます。)

当然のことですが、百貨店内のどこに何が売っているのか、多目的トイレ(バリアフリートイレ)が何階に設置されているのか、近隣の観光地への行き方なども知っておく必要があります。

なんでそんなに覚えないといけないのかというと、販売員さんが、「教えてください」と聞きに来るからです。
百貨店の情報が網羅されている小さい冊子を、全員標準装備させられているのですが、みんな、自分で調べずに、こちらへ聞きに来ます。
販売員さんたちがなぜ聞きにくるかというと、チームリーダーさんやマネージャーさんに聞きに行くと、不勉強を叱られてしまうからなのです。
かくして、「レジさんに聞こう」となって、みんなが押し寄せてきます。
レジさんは、はっきり言っちゃうと、レジ係という名の何でも屋さんです。

スーパーのレジを10年やりました、と言って自信満々で入ってきた新人さんも、2時間で姿を消してしまうくらい、お仕事はハードなものでした。


ある年、異動があって、私はメンズ売り場の担当になりました。
メンズ売り場だけあって、若い男子の販売員さんたちが多くいました。みんな魅力的で、個性がある人たちでした。
なかにはどこの会社でもいるように、不勉強で向上心のない人もいましたが、私が受け持っている区画のみんなは、とても真面目で、仕事熱心な男子たちでした。

某ブランドの、Rくん(仮名)という20代半ばくらいの男子がいました。
Rくんは、勉強熱心で、まず自分で調べて考えて、それでも分からないとき、レジのブースにやってきて、「ここ、こうでいいですか?」と質問にきました。調べずにやってきて、私に丸投げするようなことは一度もありませんでした。

メンズフロアはイケメン揃いで(目の保養)、なかでもRくんは群を抜いて魅力的な人でした。
Rくんは仕事の合間に、ふらりとやってきて、私の手が空いているときに二言、三言、話して、売り場へ戻っていく、ということがよくありました。
Rくんとお話しするのは楽しかったので、私もそんな時間を嬉しく思っていました。


ある日、私は髪型を変えて出勤しました。
その頃、私はロングヘアーで、いつもシュシュで左側に緩く結んでいたのですが、なんとなく気分転換に、両サイドの髪を後ろでバレッタで留めていきました。
その日も催事があって、朝礼でその説明を受け、仲間同士で確認をして、フロアのブースに入りました。
ほどなくして、Rくんが現れました。
催事のコードと決まりごとの確認でした。
Rくんは去り際に、ブースの壁に寄りかかって、改めて私を見て、「髪型、変えたんですね」と言いました。
「え?あ、うん」と私が答えると、Rくんは優しい声で「いい感じです」と微笑んで、帰っていきました。

え⋯?
えぇ⋯?
えええええええ???
今、Rくん、「いい感じ」って言った??
ナニ??
ナニナニナニナニどういうこと???
あのRくんだよ??

その日ずっと、ニマニマが止まりませんでした。
休憩時間、大食堂で仲間たちとご飯を食べているときも、顔がゆるみっぱなしでした。
女子はそういうのに目ざといので、すぐに「◯◯ちゃん、どした?」と聞かれました。「なんか良いことあった?」
「うん、あった」と私が答えると、「ナニ?教えて教えて」とみんな食い付いてきました。
でも、「ごめん、もうちょっと、ひとりで味わいたい」と言って、みんなには内緒にしました。
午後のお仕事中も、お家に帰ってきてからも、ふわっふわの気分で過ごしました。

その日の私の髪型は、かなり好評だったらしくて、いろんな男子が入れ替わり立ち替わりやってきました。
なかにはレジ操作の真っ只中なのに、なぜか真っ赤になって固まってしまう男の子もいました。
「どうしたの?大丈夫?」と聞いても「大丈夫っす」と言って、目も合わせず、いつもなら何かしらお喋りするのに、レジの操作が終わると急いで帰って行ってしまいました。


数カ月後、急に大きな異動があって、私はメンズフロアの担当からレディースの担当へ変わりました。
売り場のみんなに「お世話になりました」と挨拶することも叶わず、翌日には別の人がメンズフロアの担当になり、何事もなかったようにお仕事を始めました。

お昼の休憩のときに、偶然、メンズの団体とばったり出会えて、少しお話をすることができました。
「何かあったんですか?」
「急に居なくなるからびっくりしましたよ」
と聞かれて、私も、「ごめんね、急な異動だったの。お世話になりました」と伝えることができて、ほっとしました。
そのとき、そこにRくんは居なかったけど、たぶんみんなから情報が伝わるかな、と思いました。
休憩中にメンズフロアに行って、挨拶廻りをしても良かったんだけど、なんだか大仰な気がして、行くのはやめました。


その後、レディースフロアで、私は閉所恐怖症と過呼吸を同時発動させて、職場から一旦離れました。
でも、思っていたよりも深刻な状態で、休職から退職へ切り替わり、私は百貨店のレジのお仕事から身を引きました。


Rくんも、みんなも、どうしているかな。
たぶん、40代に突入しているよね。
家庭を持って、パパになっているんだろうな。
もう会うことはないだろうけど、みんなのご多幸、ご活躍を、心からお祈りしています。


では、この辺で。
読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。

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