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「理念と政策の一致」v.s.「大きな塊」

今回は政治の話題について。

最近、立憲民主党と国民民主党の合流新党結成や、それに参加しない議員たちの新党などで政界は盛り上がっている。この合流・分裂劇において、注目されているのが、以下の対立だと捉えられることが多い。

「理念と政策の一致」 v.s. 「大きな塊」

「政治は数」だ。それは間違いない。どれだけいい政策を掲げようと、基本的には多数を占めないと実現できない。世論の後押しや、与党が少数でキャスティングボードを握っている場合は実現できることはあるだろうが、特に今の、与党が安定多数を占めている状況下では、少数野党の政策を実現することは難しいだろう。さらに、小選挙区制の日本では、候補が一本化されている与党に、多数の野党候補が乱立している状態では勝ち目がない。野党候補をある程度統一する必要はあるだろう。

ただ、「政治は数」に捉われて、「大きな塊」をただひたすらに志向したとて、政権交代したときに閣内で政策の不一致があった場合、政治が前に進まない。この典型的な例が2009年~2012年の民主党政権だろう。

「理念と政策の一致」なしの「大きな塊」は野合だと言わざるを得ない。否、自民党も政策に幅があると思う人もいるだろう。思想も違う。
つい先日にも、皇位継承に関して、自民党内では全く違う意見が出ている。

確かに「理念と政策の一致」はしていないかもしれない。ただ、自民党には「理念と政策の一致」をしようという意思、そういう体面を保とうという共通意識がある。一方、野党はまとまれないというよりかは、まとまる気がないため、政権運営に失敗し、まとまれず弱体化しているのだろう。

なぜ野党はまとまらない、もしくはまとまろうという気がないのだろうか。

これは野党が生き残るためには先鋭化せざるを得ないからだろう。特に、地方で小選挙区で勝ち上がっている野党政治家はまさしく各地方の「豪族」であり、独自の政策があり、こだわりが強いだろう。これは一種の宿命のような気もする。
また、与党に対する対立軸が在り、その軸に集まる野党議員が集まって政党を作るのが自然な流れである。対立軸は複数ありうる。複数の野党勢力ができるのは必然である。

ここから、私はそもそも野党はまとまることはできないのではないかと思う。無理やりまとめても分裂してしまう。「政権獲得」のみを目的化してまとまったとしても、政権を獲った後には確実に政策論争が待っているのだから、空中分裂してしまうだろう。

では、野党はまとまらないということを前提としよう。しかしその場合、先に述べたように、今の状況では野党は分裂して勝てないだろう。ただ、これは「今の状況」だからと考える。「今の状況」を変えるという発想にはならないのだろうか。つまり、野合せずとも、小選挙区を勝ち抜けるくらい圧倒的民意を喚起できるような状況をつくりだすことはできないのだろうか?

選挙に合わせて大きなうねりを起こし、風を起こす。様々な広報戦略を駆使し、無党派を呼び覚まし、政治への関心を掘り起こし、投票してもらう。

実際にこれを実現した一例は、2009年の民主党政権であろう。ただ、あの政権は、官僚機構を上手に動かせず、失政を繰り返し、やがて分裂が表面化した。これは失敗した。

うねりを起こし、その後分裂せずに勢力を維持・拡大させた成功例は、大阪維新の会だと思う。橋下大阪府知事(当時)から端を発した維新は、選挙をうまく利用し、時々過激に政治を劇場化し、風を起こした。民主党政権とは違い、行政も上手に動かし、10年以上維新の府政が続いており、維新は盤石に見える。

この例に倣い、野党も野合せずとも世論を喚起できるヒーローの登場に期待したい。今の野党政治家の中に、これができる人はいるのだろうか?


私は、合流新党は「大きな塊」を優先してまとまろうとしていて、それ自体は政権獲得を目指す議員としては当然の判断だとは思う。ただ、大きなうねりが起こせそうかという期待値は低い。ある一定選挙には勝てるだろうが、いざ政権を獲っても、その先があまりイメージできない。

一方、合流新党に参加しない議員は、政権奪取の可能性を低くしているとは思う。その意味では、政権の補完勢力なのかもしれない。ただ、大きなうねりを起こす可能性はあるような気がする。このわずかな可能性に賭ける玉木氏らに私は期待してしまう。

(2020.08.25.18:30)


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