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生き残る奇跡

 綿矢りささんの小説「蹴りたい背中」を読んだ。

 高校生の物語で、青春とはほんとに複雑で、ある意味しんどいよなぁ、ってあらためて思ってしまった。

 群れたくないけど、ひとりも嫌。ふつうのみんなと一緒にしてほしくないけど、実はそんなみんなをうらやんでいたり。

 そんなナイーブな高校生少女の内面が、センスのいい表現と文章で鮮やかに描かれていて、陰にこもりすぎず、好きな感じの作品だった。


 高校時代のぼくは、剣道部に入っていて、よく仲間と遊んだりしていたけれど、どこかみんなと違うところがあったりして、なじめ切れないところがあったりしたものだ。

 ぼくは本が好きだったけど、友だちと話すときは友だちの興味のあることをしゃべってみたり、教室で一人きりで座っているのが恥ずかしかったり。

 ある意味自意識過剰で、好きな人にも声がかけられなかったりで、青春時代って、楽しくて希望にあふれている反面、しんどいこともいっぱいあったよなぁ、と思う。


 よく、あの時代を生き抜いてこられたなぁ、と思って驚くくらいだ。


 青春時代を生き抜くこともそうだけど、生まれてきてから大人に成長するまで、生き残ることは奇跡だな、と思うことがある。


 ぼくの子どものころは、いつも外で遊び回っていて、危険なことも数えきれないくらいやって来た。
 見通しの悪い交差点を、車が来てるかどうかを確かめずに自転車で突っ切ったり、屋根の上で家から家に飛び移って遊んだり。

 そういえば、小学1年くらいの時だったと思うが、ぼくはよく近所の細い路地を自転車で走り回っていた、そのころは、カーブミラーの意味を知らず、ある日結構なスピードでカーブを曲がった時に、前からきた自転車に乗った男性に思いっきりぶつかって転んでしまったことがあった。
 大したけがはなかったが、それが車であったならおそらく今の自分はないだろうと思うし、そのことはよく記憶に残ってもいる。


 人間は、いろんな危ない経験や、思春期や青春の苦しい感情を乗り越えて、学んで生きていくものだ。そうやって、身を守るすべ、相手を思いやる心などを育んで、成長していく。

 なので、危険やある時期のしんどさは、大人になって生き延びるために必要な、必ず通らなければならない道なのだろう。


 倒れた時に、人は顔や頭を守るため咄嗟に腕を前に出すが、これも人間の本能ではなく、子どものころにいっぱいこけて、そして学んでいくものらしい。


 カーブミラーの件にしても、その時ぶつかった男性に意味を教えてもらってはじめて、ぼくはカーブミラーの意味を知ったのだ。


 本当によくいままで無事に生きてこられたなと思うのだ。

 ほとんど、奇跡のように思える。


 そんなことを考えていると、ちょっと説教くさくなるかもしれないけれど、そこには何か大きな存在に守られて、そして生かされているようにも感じてしまうのだ。






読んでいただいて、とてもうれしいです!