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わたしはこえを声にできなかった。

こんにちは、ゆいです。


声にならないこえを聴く


今日は、この言葉が生まれた私の過去を少し話します。


(↓まずもってこれ何やねんて人はこちらをご覧ください。↓)

声にならないこえを聴く


昔のわたしは、自分のこえに耳を傾けることができない、

というか、聴こえないふりをして、声にしない、そんな人でした。



わたしは、父・母・弟の4人家族です。


父は、昔、とても怖い人でした。

サラリーマンで土日しか家にいないけど、

その間は寝ているか、ゴルフに行くか、怒っているか。

いつも父の顔色を見て生きてきました。


母は、優しくて、でも父にいつも負けている人でした。

何度も、母が泣いているのを見ました。

悔しくて、苦しくて、そんな想いで母はあふれていた。

でも、本人の前じゃなくゆいの前でいう母。

母が父のことで泣くのがつらくて、父の機嫌をより取るようになりました。


弟は、いつも父と母にかわいがられていました、でも勉強はちょっと苦手。

昔塾の先生に

「お姉ちゃんに勉強も運動ももっていかれた」

といっていたそう、ごめんね。

でも、私は勉強もスポーツも努力するしかなかった。

弟は何もなくても親に愛されている。

わたしは、、、何かがんばらないと評価されない。



こんな私の家族。

わたし、高校卒業するまで大したわがまま言った記憶ありません。

「何食べたい~?」「どこ行きたい~?」

、、、なんでもいい。


かわいい服を見つけても、おいしそうなものを見つけても

、、、まぁいいや、いらない。


これしか言えなかった。



あと、わたし、小学校が居心地悪くて中学受験してます。

居心地の悪さの原因は、よくある「いじめ」。


されたくないから、いい感じに顔色見て合わせている。

そんな感覚で、毎日を送っていました。


ただ、たった一日だけ、母に弱音を吐きました。

夏休み最終日の夜、このときのことは忘れられない。

学校にいかない約40日間。

それが終わってまたみんなに合わせる毎日が始まる不安、恐怖。


一度も伝えたことのなかった想いを、母に話しました。

あのときは、涙が止まらなかった。


次の日、「学校どうする?」と母が聞いてくれたのも覚えています。

でも、当時の自分には”サボる”という選択肢はなくて、

毎日学校に行くことを選びました。

居心地の悪さは、変わることはなかったけど、


まぁ、そんなこんなでわたしの過去の一部。


人の顔色ばっか見て生きてきました。

自分のしたいことなんて、これっぽっちもなかった。

あっても、声にはならなかった。


でも、それじゃしあわせじゃないよな、って思うようになりました。


ずっと苦しかった、こえをあげたかった。

でも、あげられなかった。


こんなひとたちを、いま声にできなくて苦しんでいる人たちを救いたい。


あなたのこえに耳を傾けるよ、だから、ちょっと自分のこえ聴いてみて

って伝えられる存在でありたい。


これが私の原体験。


声にならないこえを聴く


これを大切に、これからも生きていきます。



ー苦しいときは、誰かに聞いてもらいたいときは

ふと私の顔を思い出してほしい。

あなたがこえを聴けるように、声にできるように

あったかいぬくもりで包み込むから。ー

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