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反応か、行動か。

ふざけて掃除をしている児童がいる。
「なんでふざけているんだ!もっとちゃんとやれ!」と声を荒げる教師がいる。
こうした声を荒げるタイプの教師は、その場の行動(刺激)に対して「反応」している。
反応というのは受け身の行為だ。
この手の教師は仕事に追われ、その日暮らしで生きているという性質がある。


ふざけて掃除をしている児童がいる。
「おいおい、君にはもっと力があるだろう。本当の力を先生に見せてみろ。」とニヤニヤしながら挑発する教師がいる。
こちらの教師は受け身ではない。ふざけている児童(刺激)に対し、どのように振る舞えば良いのか考え、選択し、行動している。
当然、対象学年や個人の特性に応じて、指導法を「選択」し、行動することができる。
この手の教師は常に策略を巡らせている。児童相手はもちろん、同僚とのコミュニケーションであっても自己の利益が生まれるよう意図して関わっている。故に、損な結果しか生み出さないその日暮らしの働き方はしない。

働き方一つでその教師の指導力がわかる。
大切なのは上記2パターンは全く同じ人物でも成立してしまうということである。(刺激に対する選択肢を持ち合わせていない教師は、声を荒げる教師にしかなれない。)

その日暮らしの働き方では心の余裕が生まれない。心に余裕がなければ刺激に対して反応するしかなくなってしまう。

教師は刺激に対して、自らの行動を選択する余裕をもたなければならない。

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