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憧れのお爺ちゃん先生

新卒一年目。教師という職業は、怒らなければ成立せぬものだと早々に思わされた。声を荒げて怒るか、ネチネチと嫌味ったらしく言うか。当時の学年団はそんなカラーだった。廊下で説教されている児童の姿を頻繁に見た。「先生、もっと言った方がいいよ。」とよく言われた。怒ることは必要条件なのだと思わずにいられなかった。

新卒二年目。この年の学年主任は、カラッと怒っていた。怒る言葉の最後に、「まったくも〜」という笑みが見られる。そんな明るい雰囲気を醸し出す人だった。昨年の環境が異常だったのだと気がつくことができた。この年の学年団は明朗快活だった。

新卒三年目。ここで憧憬の人と出会う。
当時は2年の担任だった。低学年をもつ醍醐味(今でこそ醍醐味と捉えられる)は、日常にハプニングが溢れていることだ。

その年の男子トイレで、個室が故意に汚される事件が起こった。糞尿が散らかり、トイレットペーパーは丸ごと大便器の中に突っ込まれている。注意深く観察していると、私の担任している児童の仕業だと分かった。
思いも寄らない行動に驚くだけでなく、何故このような行動をするのかと腹が立った。私は、学年主任のお爺ちゃん先生に相談をした。

「これは、いけませんね〜。でもかわいいじゃないですかぁ〜」

いやいや、かわいくはないだろう。それに、注意しても繰り返してしまうのだ。話を聞いているようで聞いていない(もちろん、その児童のもつ特性が大きく影響している)。どうしろというのだ。
「さすがにこれは、マズくないですか。」
愚かな私は、児童を否定的に見る発言を期待していた。しかしお爺ちゃん先生は言うのだ。

「先生を成長させてくれてるじゃないですか〜」

ハッとした。お爺ちゃん先生は、決して子どもを否定しない。ありのままを受け入れて、こちらに何ができるのかを考えている。ニッコリと笑いながら、穏やかな振る舞いで。

私はといえば、児童を否定的に見ている上に、共感を求めていた。もし、お爺ちゃん先生が共感していたならば、私はその児童を否定的に見ることしかできなかっただろう。お爺ちゃん先生の一言は、私の心を鎮めてくれた。

児童の問題行動をかわいいと捉える包容力。そこから生まれるゆとりある振る舞いは、私を惹きつけるのに十分過ぎた。その年の学年団は要領良く先に先に進んでいくお爺ちゃん先生を、若手二人が必死に追いかける形となっていた。すると若手にも心の余裕が生まれる。心に余裕が生まれると穏やかに児童を見ることができた。問題行動をかわいいと思える心の在り方を知った。

お爺ちゃん先生との出会いからもう4年が経とうとしている。久しぶりに低学年を担当した今年は、大変な行動を見た時ほど笑顔で、ゆったりと動くようにしている。腹が立つときは、お爺ちゃんのような口調となってニッコリ静かに語りかけている。
だからだろうか。まだ20代なのに、クラスの子から「先生お爺ちゃんみたいだね」と言われる。体力ゲージが減らない子どもたちに混ざり鬼ごっこをしていると、時々本当にお爺ちゃんになったのではないかと錯覚する。

教師という職業は在り方を問われる職業だ。
誰と出会うかで、教育観がつくられていく。
憧れの人と同じ景色を見ることができるように、あの頃の自分と同じ景色を見せることができるように、歳を重ねていきたいと思う。

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