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「コピーは、コーヒー牛乳飲みながら。70 」SBSラジオCMコンテスト常連・第59回宣伝会議賞協賛企業賞・ファイナリスト 見田英樹さんインタビュー

最後の一杯目は、
「未来は、見えないパーツの集合体だ。」

————見田さんといえば、コピー以外にも、SBSのラジオCMコンテストに力を入れてますよね。

見田さん:実はラジオCMに関しては、苦手意識があって。

コピーを書こうとするならスッと出てくるんですけど、CMとなるとスッとアイデアが止まってしまうんですよ。ありがたいことにSBSは4年連続で賞をいただいているので、決して書けないことはないはずなんですが……自分の書いたものが本当に面白いのか、どうだろうとすごく考えちゃうタイプでして。だから毎回書き方がわからない、わからないと旧Twitter(現在はX)で愚痴ってしまいがちで、そして、やっぱり書く時間もかかってしまいますね(笑)

それでもなぜSBSに力を入れてるかといえば、宣伝会議賞を頑張るなら、コピーだけでなくCMもやらないとと考え、地方のラジオCMに挑戦し始めたがきっかけです。

いくつか挑戦する中でSBSで賞をいただけて、静岡のラジオ局主催の授賞式に招待してもらったんですよね。その時に(六杯目の)贈りびとさんがお祝いしましょうと声をかけてくださいまして。他にも(五十杯目の)密山さんなど他の受賞した皆さんとお祝いの会をしたのが凄く楽しかったんです。

見田さん:こんな楽しい事があるなら、毎年行きたいなあという欲が湧いてきまして。最初に受賞した時は4、50本の応募でしたが、翌年は200本くらい出してたのかな。その翌年は300本と、そんな風に他のラジオCMが出せない時でも、SBSのラジオCMだけは頑張るようにしています(笑)


とうとう、この時が来てしまいました……! 
うわあ、もうすでにちょっと涙ぐんでいますよ。
きょう、6年間続いたこの連載は、フィナーレです。
よく70回続いたぞ我ながら!途中結構休んだぞ我ながら!
紆余曲折を経て選んだ、最後のゲストをご紹介します!!

見田英樹さん。愛知県の印刷会社で営業されている男性で、宣伝会議賞に参加されている皆さんには「一次審査をたくさん通過されている……!」となじみ深い方なのではないでしょうか。

なぜ最後に彼を選んだかといえば、このコロナ禍において最も本音を話し合えて、深い関係を築いてきたコピー仲間だから。個人的な理由と言えばそれまでですが、彼が努力を重ね、第59回でついに協賛企業賞とファイナリストに手が届いた話は、ラストにとてもふさわしいという理由で選出させていただきました。

そんな最後のインタビューの舞台は、京都

日本のかつての中心地であり、東海道の西の終点の地です。奇しくもnoteでこの連載が再開した時は東京タワーのお膝元からスタート(三十杯目・奥村明彦さん)したので、ここで終わるのは不思議なご縁を感じます。

しかも季節は同じく桜舞う春!(取材から記事の公開、大変お待たせしました……!)

では、いざ最後の一杯を飲みに参りましょう。

さらば、全てのコピコヒーーーーーーーーーーーーーーーーー。

漫画少年だった学生時代。
ロマンある社会人生活で見つけた「コピー」の道

————と、このように最後のインタビューが始まった訳ですが……流れとしてはいつも通り、いきましょうか(笑)

まず見田さんの幼少期についてお聞かせください。相当漫画やアニメがお好きだったんだとか。

見田さん:おっしゃる通りです(笑)漫画やアニメばかり見てた影響もあって、小学生の頃は「SLAM DUNK」が放送中だったのもあり、バスケ部に入りまして。それで、中学に進学したらそのバスケ部がなかったので、何入ろうかなと思ったら「るろうに剣心」が流行っていたので剣道部に入ることにしたんです。……わかりやすいですよね。

お世辞でも運動神経は良くなかったんですが、なぜか中高ともに主将をやらせてもらったんですよ。弱いのに(笑)

————周りから慕われてたんですね。

見田さん:そうかも知れないですね、学級委員とかもやってたのでまとめ役をやらされる……というのが多かったですね。あと歴史の本も好きでそれも漫画から入ってるんです。大学も日本文化を専攻する学科を選んで。司馬遼太郎さんの「龍馬がゆく」も「燃えよ剣」も読んでましたし。

だから歴史も一種のファンタジー的なものとして考えちゃうところもあるんでしょうか、うん……根っからのアニメ好きでしたね

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