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「コピーは、コーヒー牛乳飲みながら。64」株式会社RED代表・栗原勲さんインタビュー

六十四杯目は「印刷の仕事はつまらない。」
「DO IT IN RED.」

栗原さん:大学1年目に「退学しなさい」って言われたんです。

高校にはない単位制という仕組みも出席日数と試験の出来で落第することもよくわかってなくて、大学って行かなくていいところかなーと思っていたらある日「このままだと、8年通ってもあなたはこの学校を卒業できないからやめた方がいいんじゃないですか」と呼び出されて。

まあ何とか一応5年で卒業できまして。そんな感じの大学生でしたね。

————栗さんのいい意味で破天候さの片鱗が、既に見えますね……(笑)

栗原さん:はははは、めちゃくちゃ頑張るというのはやってこなかった感じかな(笑)効率よく生きていきたいって想いはあって勉強とかはほぼやってないですね。大学に入る前も全然宿題を出した記憶がないぐらい。

教室で先生に叱られても反省するタイプじゃなくて、出ていけ!と言われたらほんとに出てっちゃうタイプだったから「こいつには何言っても無駄だ……」と先生方には思われてたみたいです。

————そんな栗さんと宣伝会議のコピーライター養成講座で知り合ってから、もう10年以上が経つんですね。



みなさーん、熱中症対策は万全ですか?! すっかり汗だくな日々を過ごしているハマダです。

さて、今回のコピコヒのお相手は、僕が個人的に敬愛しているクリエイティブディレクター・栗原勲さん。

今から10年近く前、基礎講座の教室の隅におずおずと座っていた20代前半のコピーライター志望だったハマダ。そんな教室の一番前の席に座り、熱心に講義を聞いていたのが当時37歳の栗原さん(以下、栗さん)でした。その時のご様子は、当時のアドタイにも紹介されています。

そのポジティブで破天荒な人柄から、当時のコピーライター志望のみんなの兄貴的な役割も担ってくださり、今でも変わらない友人関係をくださっている栗さん。その後FCC賞新人賞などを受賞されるなど多くの実績を出されていた彼は、今年独立され会社の経営者になっていました。

自分も30代後半に突入する今だからこそ、あの頃知らなかった栗さんの物語が知りたいという思いから今回インタビューを依頼。その取材地となったのは、この場所です。

青山学院大学前に、かつてのコピーライター養成講座の教室がありました。

東京・表参道。かつて基礎講座が行われた旧こどもの城(現在は閉鎖)前からスタートし、2010年前半にコピーライター志望だったみなさんには懐かしの場所を巡ります。

夏にふさわしい陽気で熱く、人情味のある物語。ぜひ最後まで御覧ください!

東京タワーの麓で、大洋印刷と駆けた青年期。
37歳の時に出会った「コピーライター」

————そんな栗さんが長年働いてきて、愛情を注いできた会社が大洋印刷だったんですよね。

栗原さん:4年生の時の就職活動は、頑張ってたんですよ。早く働きたかったし、何よりいろんな会社のいろんな仕事によって社会ができてるんだということを学べたので。

「会員の情報をマーケティングデータにして、それを次の商売やビジネスにつなげていくのが本当の目的だ」みたいな話を会社説明会でされて、感銘を受けたのを覚えていますね。

ちょうどその時住宅会社のインテリアデザイナーに内定してたんですが、一年留年してしまいまして。その間は後楽園遊園地でバイトをしていましたね。ディズニーランドのキャストとかはやる事が決まってるんですが、ここの仕事はすごく自由で「これ俺の天職かも」と思えるくらいハマってましたね。

栗原さん:その後、写真を撮る趣味が活かせるDTPの会社に内定をいただいたんですが、そのタイミングに大学から「大洋印刷て会社の営業職を受けてくれないか」という依頼がきまして。特に興味はないんですがと伝えたんですが、全部大学側が手配してくれると言われたんですよ。

それなら受けてみようと試験会場に行き、午前中筆記、午後面接の1日で終わる試験を卒業直前の2月にやることになったんです。

————卒業直前の2月、ですか?

栗原さん:すごい状況ですよね……しかも面接も「はい!はい!」と勢いよく答えてたら「あいつ、いいな……」と期待されちゃったみたいで内定が出ちゃったんです。

どうやら新しく会社に入る社長の息子が大学の同期にいるらしく、彼のサポート役を大学側が探してたらしいですよ。だから「ぜひこちらに入ってくれ。そうしないと困る」と言われてしまって。

正直行く気全くなかったんですよ。しかたなく当時付き合っていた彼女と浜松町にあるオフィスに行ったら、個人的に好きな東京タワーの近くだったんです。それを見た瞬間「……あ、これならまあいいか」と営業マンとして入社することにしました。

————か、軽っ!

栗原さん:いやさ〜、3年くらいでやめようと思っていたんだけどね(笑)

仕事の幅は大洋印刷の方が広そうだったから、業界経験だけ得て最初にやりたかった進路に進もうと思っていて。そしたらまんまと10、20年と在籍することになったんですね。

————そんなに長くやられてたのは、居心地が良かったから?

栗原さん:よかったですし、そうでなかったとも言える環境でした。

対お客さんの面では結構苦しんでたんですよ。昔(2000年前後)の商流だからか、わりと発注してくれるお客さんが殿様商売でして。悪く言うと、印刷会社の僕らは奴隷みたいに扱われていました。でもそんな環境に対して大洋印刷側のチームもすごい強化されまして。

本当に尊敬する先輩方と一緒に、東京タワーのそばで、後輩たちを育てる刺激も味わいながら充実感のある日々を過ごしていました。

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