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続・読書のお供にノートブックを


先日、「死ぬほど読書」丹波宇一郎 著 を読んでいてもう一つ気になっていた言葉。

考えることによって、情報が有機的に結合し、知識になる。読書で得たものが知識になるのは、本を読む行為が往々にして「考える」ことを伴うものだからです。

本で得た情報を、ノートに書きだすことで頭に残ることは前回語った通りなのですが、そのプロセスには続きがあって、自分の【知識】にするためには「考えること」が必要になるということです。

私の実感としては「書き写す」だけであれば、それは身体が覚えているという単なるインプットです。それを単純な作業とするだけでなく、「考えながら書き写す」という行為に意識的に持っていくことによって【知識】とするために必要な「考える」行為も併せてできているのだと思います。

読書は即効性を求めても意味のないものが多いのです。即効性がなく、自分なりの答えを考えて探すというところに読書本来の醍醐味があるのだと思います。

しかし、上記に書いてある通り本で得た知識は、すぐに自分の知識として有効になるわけではないんです。ばらばらのジグソーパズルのピースを作るのが、読書・読書ノートであるとするならば、ジグソーパズルの完成にはかなりの時間がかかりますね。

昨日、見事に私のピースが重なって1つの地図を描けて、その時にこんなことを思ったのでした。実践してみて、うまくいったらご報告してみようと思います。何てことないことなんですが、こういう小さな発見も大切にしていきたいなぁと思うのです。


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