最期のお別れ
大切な人が亡くなった時、どうやってお別れするかというのは残された人にとっての試練だ。だって、残された人はその人への想いと共にこれからも生き続けなければいけないから。そのためには自分自身に向き合い、考えることで自分を納得させる必要があるように思う。他人からのアドバイスや(一見)優しい言葉は実はあまり効果がないのではと思っている。
何度かのお別れを経験して、3年前、5歳の頃から通っていたバレエ教室の恩師が亡くなった時に初めて自分なりの本当の「お別れ」の意味を実感した。
友人から訃報を聞いた時、覚悟をしていたとはいえ「この日が来て欲しくなかった」という想いから2人で電話しながら号泣した。実はめったにその友人と電話することなかったから、着信があった時点で何が起こったかを察して、震えて泣けた。
その日のうちに地元に帰って、そのまま恩師の自宅兼スタジオに向かった。旦那や空港に迎えに来てくれた父の言葉は全然耳に入らなかった。早く、共に踊ってきた仲間に会って一緒に泣きたかった。そして、彼女たちの顔を見た瞬間に抱き合って泣いた。そして、みんなで斎場に飾る衣装や写真、流す音楽を選んだ。恩師らしいお別れの会にしたいという想いから、みんなで昔を振り返りながら。思えばもう、お別れのステップはここからスタートしていたんだ。
会場では、昔の衣装や写真を飾り、恩師の好きな曲をかけていた。子どもの頃一緒に踊っていた、今では疎遠になってしまっていた仲間もたくさん駆けつけてくれた。再会の場にもなった。通夜の最中は人目もはばからず泣き、悲しみを受け入れた。明日が最期のお別れだ、私たちなりのお別れってなんだろう、一番の思い出がつまった場所で、恩師から受け継いだものを共有することじゃないか。そして早朝にスタジオで集まって、バーレッスンをした。みんなで真剣に楽しく。そうすることで、恩師にこれまでの感謝の意を表した気がした。
葬式の会場では、もうだいぶスッキリしていた。1日半かけて、色々な形でお別れの準備をしてきたからだと思う。全部終わって、みんなで焼肉を食べに行っていつものように笑いあって、帰宅した。その時には、すごくポジティブな気持ちで恩師への感謝と明日からの勇気にあふれていた。
何が言いたいかというと、大切な人・お世話になった人とのお別れはひとそれぞれのやり方や考え方があるのでは、ということ。ただただ、自分が今後生きていく時に後悔のないように、次に進めるようにするために自分の中で納得できる形でのお別れができるように周りは見守っていけるといいな、と思う。憶測なんて何の役にも立たない。だから、待ちましょう。新たなスタートを切れるその日まで。
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