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四月になれば彼女は、読書感想文

1年以上前に、ブックオフで大量買いした中の1冊だった。日が延びて、暖かな風が吹く最近に「四月になれば彼女は」というタイトルに春を感じる。ふと、ページをめくり始めた。

「なぜ人を愛するのだろうか。なぜそれが失われていくことを止めることができないのか。あらゆる賢人が悩んできた未解決の難題。」

愛にこだわらなくなった精神科医の藤代は、婚約者で獣医の弥生と些細な気持ちを重ね合うことを怠っていた。面倒くさがった。そんなとき、10年ぶりに初恋のハルから手紙が届く。過去の多感な時期と、色んなことに冷めている今を行き来する。
このフィクションを通して生き方と死に方、恋とか愛とかを登場人物の行動で考えさせられた。多くの考え方、心の動かし方に打ちのめされる。それぞれの愛の多様さと、その残酷さに。

「誰かに恋をしている。今ここに打ち寄せる波のような気持は、口にした時から、淡い夢ではなく現実となる。相手の反応に心が揺れる。悲しい結末をさけたくて気持ちが混乱する。辛い。苦しい。それでも人は恋をする。それはなぜなんだろう。」

その問いへの答えを小説は語る。

「私は愛した時に、はじめて愛された。生きている限り、愛は離れていく、避けがたく、その時は訪れる。けれども、その瞬間が今ある生に輪郭を与えてくれる。わかりあえない2人が一緒にいる。その手を握り、抱きしめようとする。失ったものを取り戻すことはできない。けれども2人の間に残っていると信じることができるもの、そのかけらを一つ一つ拾い集める。」

悲しい結末がくると分かっているのに、繰り返す。友人の恋愛相談は、
「もっとキュンキュンしていたい、だから、別れようかな...」
終わりがないと思う。過去が間延びして、余韻を残し続けるように関係性はつづく。生きる実感を伴う激しい恋から、残っているものを確かめるように、些細な気持ちを重ね合う。対話するしかない。

粉飾されたものが削り落とされても残る不器用で不格好なものが愛だと思います。



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