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【ショートストーリー】バニラアイス

 キンと冷える2月の半ば、夜は山奥のようにすっかり冷え込み、仕事が終わり家から徒歩5分のコンビニに寄ってカップのバニラアイスを買い、100円のホットコーヒーを片手に家に帰る。帰って食べようと思っていたカップのバニラアイスはまだ固く、テーブルの上に置いたホットコーヒーの近くにそのバニラアイスを置いてわざと溶かした。

 半分空っぽの本棚、半分空っぽのクローゼット、2人分の食器、ふたりがけのIKEAで買ってきた丸いダイニングテーブル、彼が忘れていった灰皿。2人で1年と少し一緒の部屋を過ごした少し広い1LDKのこの部屋に、私だけ取り残された。


「好きな子が出来たんだ」

「...正直薄々気付いてたよ、空気と表情で」

「これ以上一緒の時間を過ごしても、得るものがない」

「...この部屋どうするの?」

「俺は出るよ、すぐにでも。家賃なら引き続き半分払うから。許してくれないか」


 壁一面の立派な本棚はお互い半分ずつ使おうと決めていた。私は好きな小説とお気に入りのCDが半分ずつ、彼は専ら少年漫画ばかり買い揃えていた。彼とは服の趣味も違った。私は古着のワンピースばかり買い揃えていて、彼は服にこだわりなどなくGUで買い揃えていた。食器も彼は何もこだわりないから私の趣味で、タバコを吸う彼は、友人と飲んだ時にどこかの居酒屋で酔っ払って灰皿を間違えて持って帰ってきた。

 大学3年生から社会人2年目の今まで一緒だった同い年の彼とは、つい一週間前に別れた。失恋ホヤホヤだ。休みの日はよく借りて読んでいた彼の漫画もすっぽりなくなっていて、私が洗濯しては入れていた服も跡形は一切無く、本棚もクローゼットもぽっかり虚しく半分空いていて、その空っぽの虚無がどうしようもない事実だった。

 あっさり失った今思う、私は彼が好きだったのだろうか?好きで付き合ったはずなのにどうしてこうなったのか?

 キッチンを整理していた。二人暮らしなのに食器はまあまあの量で、いらない食器は処分しようと段ボールに詰める前にIKEAのダイニングテーブルに置いていった。
もともと料理は好きだったから仕事が終わって作る料理は別に苦では無かった。カレーを出すにしても主食だけでは体に悪いからと、サラダ、スープ、カレーと必ず最低3種類は作っていた。
 確か今までここで料理をしているときはとても楽しくて、あたたかかった。彼と決めたこの部屋も彼がこの家を出て行ってからは、キッチンが死んだように冷たく感じる。冬だからか?いや、1ヶ月、1週間前は、どんなに寒くても、ここまで虚しくも冷たくもなかった。

 彼はいらないものだけ置いていった。彼が使っていた私とお揃いのシンプルなガラスのコップが水切りカゴに置いてあった。いらない。邪魔だ。彼との記憶と同じく粉々にしたい。カーテンを閉め忘れ外は真っ暗、窓は透明で剥き出し、反射で自分の部屋が鏡のように見える。むしゃくしゃして窓に映る自分に向かって、コップを投げつけて窓ガラスを叩き割ろうとした。

...

(アパートの2階で窓が割れたら...)変に常識と理性が働いてしまった。極限の寂しさが私を襲った時、どうすればいいんだ?全部めちゃくちゃにしたい、全部壊したい、狂いたいのに、狂えない、どんなに寂しくても、どんなに狂っていても、狂えない。

 彼がこの部屋を出てここは受動的に自分の部屋になったはずなのに、私の居場所がない。どこにいても彼の面影が残っていて、忘れてぐちゃぐちゃにしたい彼との記憶なのに完全に壊すことが出来ず、どこにいても彼の存在を追ってしまう。私は彼と一緒の時間を過ごしたこの空間にいたくなくて、咄嗟にアウターを着て部屋を飛び出した。さっきコンビニでコーヒーとアイスを買ってきたばかりだ、またコンビニに逃げ込んだところで、コンビニは110の家じゃない...ただ目的なく彷徨った。すれ違う人からすれば散歩をしている人にも見えるし、コンビニに用事がある女にも見えるが、これは散歩ではない。私は居場所を失って彷徨っている亡霊だ。
 住宅街の中心から夜空を見上げれば見慣れたオリオン座、普段なら冬の星座はいつだって綺麗だと思えたのに、今日は「何だかかわいそうだと」哀れな目で見られているような気がした。アウターを一枚羽織っただけの2月の夜の外は寒い。その凛と冷えた冬の夜は、キッチンの冷たさと同じだった。

 狂いそうと言うか、私はどう考えたって狂っている。勢いで部屋を出てしまったがために2月にも関わらず足元は素足でサンダルだ。住宅街を彷徨っても意味が無い。寒いし帰ろう、そうだ、さっき買ったホットコーヒーが冷めてしまう。家に戻れば、テーブルのシェルチェアにも座りもせず、ソファにも座らず、ただ茫然と立ち尽くす。

 ふつふつと君に対する怒りが湧き出てきた。許せない、一緒に過ごした1年と少しは何だったんだ、時間を返してくれ。君が付き合って2年が経とうとした頃に「一緒に住まないか」と提案したのじゃないか。最初はお互い好きだったはずだが、途中から彼にとっての私は寂しさを埋めるための「彼女」だったんだ。でも、安心感を求めていた私は、全て彼のせいには出来なかった。

 私は家を出た彼を追いかけなかった。彼が家を出てから一切LINEもしていない。戻って欲しいとも言わなかった。どこにも行かないでと引き留めもしなかった。私も彼と同じく、きっと心のどこかで彼に飽きていたんだ。恋に落ちた時の「好き」が少しずつ冷めていても、私の心は出会った頃の「好き」だと今まで偽ってきた。だが、私も心のどこかで「彼氏がいる」という安心感を失いたく無く、出会った当初と同じほど好きにはなれなくても、嫌いにはならなかった。恋にも賞味期限がある、賞味期限が切れてしまったんだ。

 買ったことを忘れていた、いらない食器に埋もれたホットコーヒーは半分を残してすっかり冷めていた。冷めたコーヒーを冷めたまま飲む。その時にふと思った、このテーブルの上に並べた食器を全て、原型がなくなるまで粉々になるまで叩き割ったとしても、きっと私の気は済まないだろう。どっちみち私と彼の関係は終わっていたに違いないのに、フラれたことに対する怒りは私のプライドが許さなかった。その怒りはどこにぶつけるも無く、高いプライドの捨て方も分からず、私の中で消化するしかなかった。

 ホットコーヒーの近くにほったらかしにしていたバニラアイスは当然溶けていた。ドロドロの液状になったバニラアイスをスプーンですくう。口に運ぶ。食べると言うより、飲んだ。彼と初めて会った頃の味がした、甘くてぬるかった。

曲で短編小説書いてみようと思い、最近お気に入りのハルカトミユキさんの「Vanilla」を題材に書いてみました。
画像はみんなのフォトギャラリーから拝借いたしました。素敵な写真ばかりで悩みましたが、こちらの写真をピックアップさせていただきました。ウイスキーがかかっているそうです、私も週末大人のバニラアイスやろう。

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