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【待望のニューアルバム】米津玄師、天才すぎない?【不協和音の魔術師】

全人類待望、そして発売前からも大ヒットの予感と音楽業界からも大注目を浴びている、今や国民的人気を誇る米津玄師の最新アルバム「STRAY SHEEP」がついに発売された。

それはそうだ、「パプリカ」のセルフカバーから人気ドラマ主題歌「感電」に、ファンから絶大な人気を集めるシングル「馬と鹿」、そして日本の音楽史をこの一曲で次々と塗り替えた大ヒット曲「Lemon」が収録された、既に期待値の高いアルバムだからだ。

そんな大期待のアルバムの発売と同時に「ハチ」名義時代のボーカロイド楽曲含む過去アルバムが全曲配信された。

正直、米津さんは「Bremen」あたりから聴いていなかったが、サブスク解禁を機に久しぶりに聴くと、蘇った青春と同時に「天才やん」しか思わなくなってしまったので、主観で新譜を一曲ずつ語る。


注意※「感電」ではドラマ「MIU404」のネタバレありですのでご注意ください


カムパネルラ

アルバム一曲目を飾るリードトラック。

音を極限まで最小限にした引き算のメロディである「カムパネルラ」は「リビングデッド・ユース」をゆっくり重く鎮めたような、真夏のビーチを深海に沈んだカラフルなポップランドのようだ。

「輝くクリスタル 輝きもその1つ」とシャウトに近い荒げて歌う場面に強い表現力を感じた。

Flamingo

言わずと知れた名曲。「カムパネルラ」からの流れが素晴らしい。演歌のこぶしを取り入れたどこか古風で、やぐらちょうちんの灯りと太鼓の音が響く盆踊りのような賑やかさを感じされる。

感電

星野源・綾野剛のダブル主演ドラマ「MIU404」の主題歌で話題沸騰中。

「食べ尽くそう2人で」「よう相棒」と歌詞に出てくる2人は主人公の星野源演じる志摩綾野剛演じる伊吹を連想させる。

MIU404の6話を見た方は、この歌詞にハッとしたかもしれない。

「お前がどっかに消えた朝より こんな夜のほうがまだましさ」

署内で「相棒殺し」という噂をされ続けていた星野源演じる志摩は、過去の相棒が亡くなってしまった。

ある日元相棒の香坂が出勤せず、志摩が不安に思い香坂の自宅のマンションを訪ねると、香坂がマンションの非常階段下で死亡していたのを志摩が発見した。

彼が事故死する前、志摩と香坂が追っていた容疑者を捕まえるため香坂が不正に薬物を入手したことが志摩にバレてしまい、麻薬の入手は法律違反だと志摩に怒鳴られ、香坂は自分のしたことを反省し刑事を辞めることを決意、退職届を書いていたところだった。
そんな最中に香坂から「自分の家の屋上で飲まないか」と志摩を誘ったが、志摩に断られてしまい、屋上でひとり志摩の好きなウイスキーを飲んでいた。
そんな1人飲みしている時に向かいのアパートで女性宅に強盗が侵入、すぐに香坂は110通報し、警察である自分は非常階段を駆け下り現場に駆けつけようとした。が、急ぐあまりに旋回する外付けの非常階段から遠心力で転落してしまい、そのまま死亡してしまった。自殺でも他殺でもなかった、現相棒・伊吹から伝えられたのは元相棒の死の真相だった。

「お前がどっかに消えた朝」の「お前」は誰とは言っていないが、志摩の元相棒である香坂を連想させる。

「遣る瀬無さ 引っさげて」これは刑事を続けている志摩の心中だと、私は考察する。

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楽曲自体はスパイスにラッパを取り入れたり、犬や猫の鳴き声を取り入れたユニークでアップテンポな曲だ。

「たった一瞬のきらめき」も稲妻のように、稲妻のような「誰も追いつけないスピードで」、喧嘩の際に落ちる稲妻も、そんな稲妻に触れることを感電と表現する。「稲妻のように生きてたい」とは、米津自身の理想の生き方なのだろうか。

ドラマとリンクする部分が多々あるが、これは米津自身の思考ではないかと思う部分がある。

「追いかけた途端に 見失っちゃうの きっと永遠が どっかにあるんだと」

これはおそらく、米津自身が見た景色なのかも、しれない。


PLACEBO

RADWIMPS:野田洋次郎とのコラボ。RADファンも米津ファンも歓喜する一曲だ。
以前米津玄師は、RADWIMPSの対バンツアーにゲスト出演したことがある。

DAOKOの「打上花火」の時も思ったが、パートの配分バランスの調整がとても上手い。この歌詞ならどちらの声が合うと言った相性も含めて、お互い多すぎず、少なすぎず、量より質で考えている節がある。

パプリカ

言わずと知れた「パプリカ」のセルフカバー。

提供した音楽はこどもたちに合わせた明るく、アルバムのセルフカバーは打ち込みで比較的シンプルなアレンジとなっている。原曲の明るさを残しつつ、絵本を読み聞かせる時に似合うような穏やかさがこれまた心地よい。

馬と鹿

ここで「馬と鹿」を入れる。今までのカラフルなポップスの流れを打って変える、クールで壮大で透き通った楽曲だ。

エッジの効いたギターに目の前が高原のような景色が広がるオーケストラを組み合わせるとは、よくロックバンドがやる手法ではあるが、ここまで全ての楽器を最大限に活かし、盛大に伸びやかにさせられることはなかなかない。どこまで音をコーディネートするのが上手なんだ。


優しい人

3:28秒と比較的短く、言葉とギターの音色が優しい、米津さんの歌声がストレートに心に染み渡るシンプルな曲だ。

人は生まれた時から人生は大体決まっているとどこかで聞いた。
恵まれている、恵まれていない、お金持ちだ、貧乏だ、容姿が美しい、醜い、男性だ、女性だ、どちらでもない、生まれながら健康だ、生まれながらどこか欠落している。

「優しくなりたい」と思う人は、既に到底優しい人だ。


Lemon

「夢ならばどれほど良かったでしょう」

このメロディを何度耳にしただろう。

ドラマ主題歌から日本を代表するまでになった名曲「Lemon」。
「Lemon」をこのアルバムで最初でも最後するでもなく、「馬と鹿」「優しい人」の次に持ってくるあたり、特別扱いせず「自分の作った一曲」として扱っている強い意志を感じる。

浄化されるような美麗なメロディは、ゆっくりと檸檬の花が咲くような豊かさを感じる。

Aメロに聞こえるこどもの声で聞こえる「ウェッ」は作曲中に声が聞こえてきたと何かで話していた記憶がある。

YouTubeの再生回数がもうすぐ6億回とは、どうなってるんだ。

まちがいさがし

全曲名曲だが、特にメロディが美しい楽曲は続く。

俳優・菅田将暉にプロデュースしたこちらもセルフカバー。皆様ご存知だと思うが、以前菅田将暉とは「灰色と青」で共演してる。

菅田将暉くんが歌う「まちがいさがし」は芸術肌で絶妙なしゃがれ声にぴったり合っていて、耳にも心にも優しく染みる。米津さんのセルフカバーは力強く誠実で、まるで教会のように神聖で真っ直ぐ届く。
菅田将暉の「まちがいさがし」は和紙の朱色で、米津さんの「まちがいさがし」は夜空の紺碧。

同じ曲でも、どちらにも魅力がある。


ひまわり

ここで曲順が梅雨明けの8月のように、からりと晴れた空になる。

アルバムを通して聴いているが、ここで米津さんの歌唱力が昔から高く、変わらないことに気が付く。私は当時「ゴーゴー幽霊船」を気に入って聴いていたが、その頃からいい意味で変わりのない安心感がある。

生身の人間であるはずなのだが、ハチ時代から発表してきた当初からのクオリティの高い楽曲と米津玄師の歌唱力は、まるで米津玄師というボーカロイドがいるようだ。


迷える羊

米津さんは「不協和音の魔術師」だと勝手に思っている。

米津玄師というジャンルを確立する、どこか異国を感じる不気味ながらも独特な曲はその不協和音から来ていると思う。

特にイントロからサビ前にかけてのベースの音が、和音から音をわざとズラして不気味さを生み出しているが、サビではズラしていたその音に和音を重ね、一気に綺麗にまとまった音に戻る。違和感のズレと、違和感が消えた爽快感が絶妙なキミ悪さと心地よさは中毒になる。

例えるなら名画が並ぶ聖な美術館に、1つだけ街並みを撮ったレトロなポラロイド写真が飾ってあるような違和感。米津さんの使う不協和音は「どうしてここに?」と思わず言ってしまうような、不思議に思う心に引っかかる、が不快にはならない、そんな存在感がある。

この曲は音階を自在に操る米津玄師の二面性を象徴する曲だと思う。

「パンダヒーロー」のようなハチ時代の奇妙な楽曲と、「アイネクライネ」のような綺麗な楽曲を作れる。米津さんの操る不協和音は、それは天性だと思う。


Décolleté

ここでも奇妙な不協和音が使われる。アコーディオンを使用し遊び心溢れつつも、息抜きのような一曲。

16世紀のヨーロッパを思わさせる独特さが、ハチ時代の初々しさを感じる曲だ。

TEENAGE RIOT

このアルバムでは一番ロック色の強い、疾走感溢れるナンバー。ライブであれば中盤以降に勢いづけで持ってくる曲だろう。

爽快感のあるドラムにロックバンドならではのガシャガシャとしたギターにロック心がウズウズする。

この曲はぜひイヤホンで聴いて欲しい。
Cメロで米津さんが2パートに分かれて歌うのだが、スピーカーでは美しく重なっているところを、イヤホンであればはっきり右と左で米津玄師が歌う2パートが聞こえる。とても綺麗なハーモニーだ。

海の幽霊

アルバムもエンディングに差し掛かる。静寂の音楽。なんと美しいのだろう、きっとライブでは美しい映像と照明で彩られていたのだろうな。

カナリヤ

Lemon、パプリカ、ひまわり...米津さんは黄色いものが好きなのだろうか。

ラストはアルバムオリジナル曲「カナリヤ。」カナリヤはピアノが可憐なバラード。「あなただからいいよ」との返事は、告白の返事、もしくはプロポーズの言葉に聞こえるのは、気のせいだろうか。


ハチ/米津玄師といえばMVはイラストだった、はずだった


今回収録アルバムを主にMVを見て、いい意味で変わったなと思うことがある。

MVに米津自身の出演が多くなったこと。


特に有名なのはここらへんではなかろうか。20代に「米津玄師と言えば?」と問えば「アイネクライネ」もしくは「米津玄師じゃなくてハチでしょ」と答えると思う。

「パンダヒーロー」などハチ時代の曲にクレジット記載はないが、ほとんどのMVのイラストも自身で手掛けていた。

「サンタマリア」なんかは本人書き下ろしイラスト+本人出演という贅沢MVである。いつ聴いてもいい曲だ。

それからは本人名義でも曲も次々発表し「フローライト」「アンビリーバーズ」「LOSER」「Flowewall」と本人出演が増えていった。


そう、ボーカロイドP時代は「ハチのMVやイラストは全て自分で描いている」米津玄師を名乗って音楽活動をすれば「米津玄師書き下ろしMV」と数々の音楽サイトが発表していたため、セルフプロデュースのインパクトが強かった。そのため「米津玄師といえば、MVはイラスト」というイメージは根強く残り、未だそのイメージを拭えずにいる。

それから気づけばほとんどのMVに本人が出演していた。

さすがにここまで売れれば、CDジャケットなどのイラストは描いても自分でMVを書き下ろすほどの時間はもう取れないだろう。

だが、ストイックなイメージである米津さん、やろうと思えばどこまでもやると思うのだ。時間がないより単純な理由、今米津さんの作り出す音楽に似合うのが「イラスト」ではなく「生身の人物」なのではないだろうか。

それは、私が勝手に思ってるだけだ。


米津さん天才すぎない?

本来は米津さんのことを簡単に天才と呼びたくない、なぜならこの世の中天才で溢れかえっているからだ。

「天才」の定義は私は「今まで世の中になかったものを生み出す」ことだと思っている。
バンドだけでもたくさんの天才ミュージシャンがいる。BUMPの藤くんだって、川谷絵音だって、凛として時雨のTKだって、King Gnuだって、amazarashiだって、the cabsの高橋國光だって、ヨルシカだって、ヒトリエのwowakaさんだって、みんな天才だと思う。例にあげたミュージシャン以外にも、天才はもっともっといる。

それなのにはっきりと繰り返し「米津玄師は天才、天才、天才、天才」というのは、隅から隅までのオリジナリティと一音一音気持ちのこもった丁寧な音楽に何度もハッとさせられ、米津玄師の音楽は至高かつ日本人の日常になるのが必然だと思ったからだ。

「米津玄師」が作った「米津玄師」というジャンルは唯一無二で、孤高にして、最高峰だと思うのだ。

「STRAY SHEEP」は、日本史に残る最高峰のアルバムになるかもしれない、いや、既に最高峰のアルバムだ。


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