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【考察】再生が夜明けの合図なら「さよなら絵梨」

藤本タツキ先生の漫画はかなりダメージ食らうので、公開後しばらく経ってから読みました。覚悟した上で調子がいいときに読んでもやられた...という訳で今更記事更新。

オマージュ or 偶然

洋画のオマージュであることは様々な方が書いているので割愛。わざとか偶然かはさておき、個人的にリンクしているように感じる作品を置いておく。

・アニメ/マンガ「呪術廻戦」

画像お借りしました

虎杖が”呪い”に対して耐久性をつけるため、教育担当の五条から「ホラー映画を見続ける」というミッションを課せられる。絵梨と映画を見るシーンと重なる。

・邦画「THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY」

桜井ユキ、高橋一生出演。スター女優を目指すアキは、上京後サーカスの助手として生計を立てる。アキの見ているリアルとディルージョンが交互に錯乱し、現実と妄想の境が分からない構成となっている。

・音楽「TK from 凛として時雨「mement」」

「メメント」が付く曲はいくつか存在するが、特にこの曲は「さよなら絵梨」を連想するフレーズが多い。しかし「mement」はカップリング曲で世間的にはマイナーだし、藤本先生が凛として時雨のファンである話も聞いたことがないので多分偶然。

「さよならの伝え方だけは 僕の中を通り過ぎて」
→死が迫る母に面と向かって「さよなら」を言えなかった優太

「壊したのは僕だ 曖昧な言葉で密室の中に逃げ道を創った」
→ドキュメンタリー映画にも関わらずラストに爆発を入れて急にファンタジーにした

「僕はただの1人になって 残された」
→交通事故で家族を失った優太

「爆発オチのクソ映画」の一人歩き

優太が最初に作った映画は、彼にとって「母に死んで欲しくなかった感情」と「クリエイターとしての根っこ」を混ぜただけに過ぎないのかもしれないが、これが様々な混乱を招くことになる。

まず母の死を目の当たりにしたくない優太が病院ごと爆発させたことに対して、「母の死を利用したから」や「亡くなった母に対しての冒涜だから」だけでなく「主人公が死に際の母を殺害した」と捉えられてもおかしくはない。

実際問題、無理心中や自暴自棄になった犯人が放火などを起こす残酷な事件は度々起こる。病院ごと爆発させたことが「1人で死ねないクソ人間が引き起こす胸糞事件」を連想させるのだろう。

一方、爆発テロなどを取り上げた映画やドラマはありきたりで非現実的だからなのか、脅しであることが大半だからなのか、どうもチープになりがちだ。そのため爆発シーンは「派手で画としていいと言う考えがチープでクソ」と思われやすい。

加えて「授業嫌だから学校爆発して欲しい」「仕事が嫌だから会社爆発して欲しい」という話をしたことあると思うが、彼はそう言った願望も映画に昇華してみたかったのだと思う。


一言で「クソ映画」と言われるが、この「クソ」には煩雑な要素が含まれている。

  1. 母の死を目の当たりにしたくない主人公が関係のない大多数の人間を巻き込む「病院ごと爆発させる」と言う手段を選んだクソさ

  2. ドキュメンタリーにファンタジー(爆発)を入れたクソさ

  3. 映画での爆発シーンは「派手だから画としていい」と言うチープな考えが出やすい浅はかさなクソさ

  4. 「死ぬ瞬間まで動画を撮って欲しい」という母との約束を破った胸糞の悪さ


これらのクソ要素が端折られた結果、「爆発オチのクソ映画」という感想が一人歩きしたと思う。

絵梨は優太のファンタジーになりたかった

絵梨は記憶がリセットされるだけで、容姿や趣味嗜好は何度生き返っても同じだと思う。生き返った彼女は優太の映画を見て「ファンタジーが少し足りない」という本心と同時に、優太のファンタジーの一部になりたかったのだと思う。

優太は誰に見せる訳でない絵梨の映画を何度編集しても納得しなかったのは、トラウマから無意識に自分が本当に入れたかったファンタジーを避けていたことも一理考えられる。

つまり見る側の「こうして欲しかった」と作り手の「こうしたかった」が一致した。

「さよなら絵梨」の爆発オチは、優太が封じてきた本当のファンタジーを解放した結果であり、絵梨の「優太のファンタジーが見たい/なりたい」という願望を叶えた結果なのかもしれない。

再生が夜明けの合図なら

「さよなら」には何重のも意味が込められていると思っている。優太に対しての本当の別れ、絵梨に対しての本当の別れ、死のうとしていた自分に対しての別れ、そして”爆発”と言うファンタジーを意識的に避け続けてきた自分への別れ。

要するに、優太が絵梨に向けた「さよなら」は優太自身にも向けた「さよなら」でもあると思う。

何故そう思うのか、その証拠に名前を呼んでいないからだ。普通の会話なら別れ際にわざわざ名前を呼んだりはしないが、漫画なら、映画なら、「さよなら」を言うときに名前を呼んだ方がロマンチックじゃないか。でも何でもアリな”漫画”という表現でそれをしていない。

来世に期待して死を選ぶのか、単に死ぬこと以外考えられなくなるのか、どちらにせよ2回も自殺しようとした優太は2回とも絵梨の出現で死ぬことを止めた。そして絵梨が2回も優太を”死なせなかった”のは、まだ優太らしい映画を作って欲しかったからだと思う。

絵梨は肉体的に何度も再生し、優太は絵梨に出会って人生を再生し、2人はたくさんの映画を再生した。全て”始まりの再生”だとすれば、自分の納得する形の終わり方が確約されているから再生(スタート)するのだと思う。優太にとって絵梨の存在は、きっと夜明けの合図だったのだ。

倫理観や道徳などはさておき、「輪廻転生」は存在し「人間には死期が選べる権利がある」とする。私なら絶対いいことがあった日に死ぬ。終わり良ければ全て良し、夢だっていいことあった日の方がいい夢見れるでしょ?










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