コーヒーから見る多様性
こんにちは、岩内町地域おこし協力隊の大なぎです。
最近新しい形容詞を作りました。
例:最近いい出会いなくてまじコロナだわ。
(意味:最悪)
コロナ禍でも明るいブラックジョークになればいいかなと思います。しょうもないと思った方はスルーしてください。
今日は私の価値観をいつも変えてくれる「コーヒー」の魅力とも言える「多様性」についてのお話。
味覚の多様性
コーヒーのことを好きな人もいれば、嫌いな人もいますよね。味が好きとか嫌いとか、体の調子が良くなるとか悪くなるとか、理由はさまざま。
人それぞれ好きなものや嫌いなものはあって、100%同じ嗜好を持つ人はいない気がします。
でもたまに起きるこんな出来事。
あそこのコーヒーは酸味が強すぎて美味しくないから、やめたほうがいい。
ここのコーヒーは薄い。美味しくない。2度といかない。
そこのコーヒーを飲んだ自分(だけ)にとって、「美味しくなかった」ものを他人に伝える行為です。(クチコミとも言えるもの)
コーヒーだけでなく、何に対しても言える話ではありますよね。しかし「おいしい」という感覚は最初に記述したように、人それぞれ異なります。
酸味を爽やかと、苦味をキレと、表現して言語化する事もできるので、実際のところどんな味覚も「おいしさ」になりうる。
だから誰かにとって「おいしくない」と感じるものも、もしかしたら誰かにとっては「おいしい」のかもしれないということ。
だから味覚の断定は良くないなあ、って思うんですよね。(あくまでも私はこう思う、でももしかしらたら違うかもで留めたいなと。)
生産国・産地・精製方法・焙煎度合いの固定概念
ここでもとりあえず、よく聞く言葉を挙げることにします。
インドネシアのマンデリンが美味しいに決まってる。
ナチュラル製法は味が単調だ。
ゲシャ種は浅煎りじゃないとダメだ。
とか色々。固定概念と講釈の数々。
結婚相手は大企業の正社員じゃないとダメ、という頑固なお父さんのようです。
昔からあるイメージや価格・ブランドに縛られて、新しい取り組みや突拍子もないアイデアを受け入れられない。
しかしながら、コーヒーとは一概に語れるものではありません。最高の一杯を求めてトライアンドエラーの繰り返し。
インドネシアのマンデリンでも精製方法や焙煎方法によっては(誰かにとって)美味しくなくなってしまう場合もあるし、ナチュラル製法でも豆によっては驚かされるものもある。
「こう言われてはいるが、こっちを試してみよう」と挑戦してみたら、驚くほどにいいものができる時もあるのです。
そしてコーヒーを淹れる段階でも、温度や湯量と豆の割合、挽き目など色々な条件で結果は何万通りにもなるでしょう。そしてさらに飲み手の好みやその時の気分によっても最終的な結果は変わってくる。
コーヒーの条件ひとつをとって、「これがおいしいコーヒーだ」と定義つけるのはもったいないような気がしています。
概念を覆していく先駆者たち
ここでいくつかの事例を挙げて、コーヒーが幅広く多様性に溢れていることを紹介します。
こちらの季刊誌「STANDART」はコーヒーにまつわることなら、(時にはそうではないことも)本当になんでも記事にしていて、いつも概念を覆されます。特に社会問題にフォーカスしているのかな?
コーヒーに詳しくても詳しくなくても、「知らない世界もあるもんだなあ」と感心したくなるような興味深い内容を取り上げています。
2016年にワールドブリューワーズカップでアジア人初の優勝をした粕谷哲さんが代表を務める株式会社PHILOCOFFEA。
コーヒーそのものだけでなく、コーヒー産業全体の可能性や理想を深く考えて実現していくというコンセプトで、固定概念にとらわれず地に足のついた活動を重なっています。私の地元、千葉県船橋市という街をコーヒーで盛り上げようとしてくれています。
もう1人、第15代 ワールドバリスタチャンピオンの井崎英典さん。彼もまた浮き足立つことなく、コーヒーに真正面から向かい、コーヒーを追求し続けている人物です。
「ヤバいデカフェ」「QAHWA MILK」といった斬新な商品開発や、コーヒーを科学的に解明していく「Barista Hustle」というオンラインコーヒースクール?を行い活動を多岐にわたらせています。
上記の人物や団体に限らず、コーヒー業界の人たちは流れるようにして、考えを共有したり、話し合ったりしているのです。
コーヒーの有限性
なぜこのような先駆者たちが一生懸命、コーヒー業界を盛り上げようとしているのか。
その理由の一つには、「2050年にはコーヒーは飲めなくなる」という2050年問題があるからでしょう。環境問題や倫理問題などさまざまな分野において警鐘を鳴らしているトピック。
その中にコーヒーも含まれており、コーヒーを生業にして生きる人たちにとっては特に死活問題。彼らを助けるには正しい知識を持って持続可能なコーヒー栽培を行い、正当な価格でコーヒーを購入すること。
そして、コーヒーを日々飲んで楽しんでいる私たちにとっても少なからず関係のあることであると言えますよね。
さまざまな人たちにこの危機感に気付いてもらうため、さらにより多くの人たちに関心を持ってもらうため、今までのコーヒーのあり方よりさらに広域な目線で、コーヒーと向き合う必要があるのです。
単純な黒い(もしくは茶色い)飲み物ということで終わらせず、
世界情勢と関わっていたり、デザイン性を求められていたり、アパレルができたり、ワインのようにペアリングが楽しめたり、はたまた人と人を繋いでくれたりもする。
なんだか自分がコーヒー好きなおかげで、出会えた人や職業、価値観、知識に幅が広がった気がします。そんなコーヒーの有限性を伝え、少しでも持続可能なものにしたいと思うのです。
コーヒーの多様性や深さを楽しむひとが増えてほしい
私の願いはここに落ち着くことになります。
コーヒーを格好つけて飲んで語るだけでなく、コーヒーを取り巻く環境や出来ごとに目を向けて、興味を持って楽しむこと。
決めつけるのは「コーヒーが奥深い」ということくらいでいいんじゃないでしょうか。
コーヒーのこととなると、永遠に話し続けてしまいます、、、
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!!
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