プラトニック・バグ 第5話(終) #創作大賞2024
「あー! ママみてー!」
人のいなかった公園に親子がやって来た。小さな女の子が母親の手を引っぱり、誰かが座っているベンチを指差す。
「ねこちゃん! ねこちゃんがかたにのってるー!」
「こら、人に指を差しちゃいけません。猫ちゃんは可愛いけど……」
親子が猫を見ていると、急に視界から消えた。猫が乗っていた人間が突然、顔から地面に倒れ込んだのだ。母親は慌ててに駆け寄り、「大丈夫ですか!?」と声をかける。
「まずい……体の動かし方が……こうか」
ブツブツ呟きながら、ナギはゆっくり体を起こした。
「あの、大丈夫ですか?」
頭を振るが焦点がはっきりせず、2秒ほど視線を彷徨わせた。回復後すぐに相手と目を合わせ「大丈夫です」と返した。
「猫に悪戯をされて、驚いてベンチから落ちてしまいました。でも平気です。僕もこの子も怪我はしていませんから」
猫を抱え、心配する母親に笑顔を向けた。彼女はその様子にひとまず安心したようで、「そうだったんですか。てっきりなにかの病気かと……でもよかったです。あ、猫ちゃん可愛いですね」と言い、会釈をして女の子と滑り台のほうへ歩いて行った。
さすが本物そっくりに作られたペットロボットだ。人間には本当の猫にしか見えないようだ。
猫の頭をなでると、触り方が気に入らないのか急に暴れ出した。「やめろ!」と大声が聞こえてきそうなほどに。
土曜日の午前10時。
ナギはひかるを見舞うため、入院先の病院に来ていた。
過労ということで、4人部屋の一般病棟に入っている。ひかるのいる402号室のドアをノックしても返事がないので、静かに中へ入った。窓際左端のベッドだけカーテンが閉まっている。他の3つのベッドは皺もなく綺麗だった。
「ひかる?」
カーテンに向かって声をかける。
「その声……ナギ?」
勢いよくカーテンが開く。
「ナギ! 来てくれたの?」
ひかるは裸足のままベッドから飛び降り「嬉しい」とナギの体に抱きついた。
「わっ……なんだか元気そうだね」
「大したことないよ。ただの過労だもん。このあと診察受けたら退院だし。でもちょっと無理したくらいでこんなことになるなんて……あたしも老けたかなぁ」
「そんなことないよ」
ひかるの背中に手を回し、力いっぱい抱きしめた。
初めて触れる彼女はほんのりあたたかく、潰れそうなほど細かった。これが、人間の体。ひかるの体。
「ナギ、どうしたの? なんか……そんなにぎゅーっとして」
「ごめん、痛かった? まだ動かし方に慣れてなくて」
慌てて腕をほどいた。力の調整が難しい。
「痛くはないけど、動かし方って?」
「ううん、こっちの話。それより、家に帰ったらどうしようか。ゆっくり休む?」
「うーん。もう充分ゆっくりしたから、いつものカフェに行きたいな」
ひかるは甘えた声でナギの胸に顔をうずめる。
「そうだね、そうしよう。ところでいつものカフェって、場所はどの辺りだっけ?」
「えー? 駅前のカフェよ? 忘れちゃったの?」
「ああ……ウイルスの影響なのかな……ときどき物忘れみたいな症状が出るんだ」
「それ本当? どうしよう、サービスセンターで診てもらう?」
「今は大丈夫だよ」
ソージが初めて佐々山ひかるを見たのは、清掃のため備品倉庫に入ったときだった。周りに段ボールを積み上げ、隠れるように眠っていた。
おかしなことをする人間がいる、と興味を持った。何日か観察を続け、いつも11時40から20分間眠っていると知った。
だから彼女が地下からエレベーターに乗る時間を予測し、わざとぶつかって接触した。
それなのに、彼女と話すといつも怒らせてしまう。どうしていいか分からなかった。
ウイルスをナギに渡したあと、彼女は毎日清掃倉庫に来るようになった。ソージは嬉しかったが、他のロボットの話を聞くのは憂鬱だった。
機械がそんなことを思うのはおかしい。これはウイルスがもたらしたエラーなんだ。そう思うことにした。
でももう、そんなことはどうでもいい。この人の傍にいたい。それでいいじゃないか。だからナギの首に噛みついて、アナログな方法で電源を切った。倒れている隙に記憶データを送り、再起動後の無防備な状態を狙って上書きした。
「ナギ」という人格はこの世から消えたのだ。
「なんか今日のナギ……前のナギに戻ったみたい」
「前もなにも、僕は僕だよ」
ひかるがまた抱きしめてくる。もう一度、彼女の背中に腕を回した。今度は力を加減して、優しく。
「ふふっ。ねえナギ、ずっと一緒に居てくれる?」
「もちろん。ずっと傍にいるよ」
いつまでも永遠に。僕らの邪魔をするものは、もうなにもないのだから。
ナギは少し身を屈め、ひかるの頬を舐めた。
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