あらさがし
私たちは幼少期からすごい能力を持っている。
他人の“あら”を探す能力である。
(こいつ・・・人と違う!おかしいぞ!)
そう思うやいなや
直感と後付け論理を駆使して他人をあげつらう。
幼少期なら直感オンリーで可愛げもあるが
大人になると理屈も加わり全く可愛くない。
というか間違いなく嫌われる行為。
しかし、たとえ煙たがられてもあらさがしは
やめることができない人が多い。
かの16代アメリカ大統領
エイブラハム・リンカーンもその一人だった。
後年こそ歴史に名を残す素晴らしい大統領だが
若いころの彼は、実はあらさがしの達人だ。
(あぁ、こいつは気に入らない!)
そう思った相手を口汚く罵るだけではなく
ダメな所をあげつらった手紙を丁寧に書き
わざわざ人通りの多い通路で公開して
道行く人々にまで広めるという性悪っぷり。
弁護士になってからもその性格は治らず
沢山恨みを買い、とにかく敵が多くいた。
やがて「もう勘弁ならない!!」と
怒り心頭の相手から決闘を申し込まれる。
ちなみにこの時代の決闘とは
本当に命のやり取りのこと。
お互い剣を持って闘う行為を指す。
リンカーンは決闘なんかしたくない。
でも、いまさら後には引けない。
自業自得とはまさにこのことだ。
だが決闘直前、お互いの介添人が入って
決闘はお流れとなり九死に一生を得た。
さすがにこのときはリンカーンも猛省。
そして自分の命をかけて教訓も得た。
人を裁くな。と
リンカーンのように改心できればいいが
改心できる人は本当に少ない。
“あらさがし”には快感が伴うからだ。
安全な位置から弱者に石を投げつける行為は
とんでもなく高揚した気分を与えてくれる。
ましてや大義が自分にあるのだから力も入る。
しかし、たとえどんな立場のものでも
他人に石を投げ続けてはいけない。
やがて特大の石を投げ返されてしまうからだ。
そもそも、あらさがしなんてしても
いいことは何もない。
探そうと思えば無限に探せてしまう。
それはつまり、無限に嫌われるということ。
そんな不毛なものを血眼になって探すよりも
いいところを探したほうがずっといい。
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