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作った笑顔とナチュラルな笑顔

笑顔は、“作った笑顔”のほうが価値がある。

この言葉を初めて聞いたとき
(そんなバカな)と思いました。

作った笑顔なんか偽物、まがいもの。
ナチュラルな笑顔の輝きに勝てるはずがないと。

どんなに心をゆさぶる映画を観て感動しても
その感動の裏では(でもこれお芝居だしな)と
冷めた意見を言ってくる脳内の私がいます。

マクドナルドの店員さんは皆輝く笑顔ですが
(でも休憩中は皆無表情なんだろうな)と
これまた冷めたことを言う脳内の私がいます。

どうしても作った笑顔に対しては
冷めた意見が出てきてしまうんです。

その点、子供の無邪気な笑顔は素晴らしい。
打算とか演技とかそういったものがなくて
まさしく純度100%の笑顔!最強の愛情!
そこに冷めた意見が入る余地はないのです。

だから、ナチュラルな笑顔は最強で
作った笑顔はどうしてもそれに劣る。
そう信じて生きてきました。

ところがある日
笑顔は、“作った笑顔”のほうが価値がある。
という話を聞いて衝撃を受けたのです。

なぜ、作った笑顔のほうが価値が高いのか。

それは
作った笑顔には明確な意思があるから。
相手に好意という名のプレゼントを渡すという
明確な意思があるから、価値があるのだと。

脳髄を紙粘土でどつかれたような鈍い衝撃。
(たしかにそうだ!)と思ってしまいました。

よくよく考えれば、大人が打算も皮算用もなく
なにか行動を起こすなんてあるわけないんです。

大人は、今まで生きてきた経験があるから
計画を立てて行動するというのは当たり前。
無計画で突っ込んで大失敗は避けるのが当然。
(あえて無計画で行動することはありますが)

つまり
大人は子供のような笑顔はできなくて当然。
同様に子供だって、大人のように筋道立てた
意思のある笑顔ができないんですから。

子供の笑顔と大人の笑顔
これを同列に扱ってしまうからおかしいわけで
こりゃまったくの別物なんです。
どちらが優れているのか?というより
どっちも良いもの!なんです。

ここまで気付いたときに、なんとなく
私の世界が少し変わりました。

映画俳優とか声優さんの『演技』に対して
(これはマジですごいスキルだ!)と
心から賞賛できるようになりましたし

マクドナルドをはじめとした『接客』にも
(私を気遣ってくれる意思を感じる)と
ありがたい気持ちが湧くようになりました。

以前の(でも)(どうせ)とか言ってくる
脳内の批判的な私の口数が減ったのです。

作った笑顔の価値にようやく気付いたのが
今から三年前くらい。
そこから私は笑顔の練習を開始しました。

毎朝鏡に向かってとびきりの笑顔をしたり
某ウイルスでマスクを余儀なくされたときは
これ幸いとばかりにマスクの下で口角を
上げっぱなしにして表情筋を鍛えました。

ちょっと前の私は
「男がヘラヘラしてるなんてみっともない」
なんて思っていて気難しい顔をしてましたが
今の私はすっかり笑顔が主体になりました。

笑顔の私を、自分でけっこう気に入っています。
だって、関わる人がなんか優しい気がするから。


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