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風邪で寝ていた日、風の音が怖い日、傷ついたことをなかなか流せない自分に気づいた日、過去の自分に感謝することの難しさ

やはり風邪のようでなんとなく優れない

食欲もイマイチ

お腹は減るけど食べると変な感じ

ずっとベッドにいた

そんな日はいつぶりだろう

たぶん一年ぶり

もうどんなことがあっても、1日ベッドにいるのはやめようと決めた

強迫性障害が辛くても通勤していたときは土日はコタツのところでかろうじて座っているか…いやいや、こたつで横になっていた

それでもベッドを這い出しているということが大切だと頑なに信じていたし、ベッドにいるなんとも言えない気持ち悪さが私をささえてくれていた

でも今日は、寒気なのかほんとに寒いのかわからなくてお布団にいた

午前は9時くらいから12時まで爆睡してしまった

よくよく考えたら、こんな体調なのに郵便がきたらどうしようと不安になり、それをなんとかしたくて頓服を飲んだつもりが、お薬の色が睡眠導入剤と安定剤が似ていて間違ったのかもしれない汗

でも普段昼寝がしたくても最近のわたしの生活リズムはヘルシーなせいかできなかったのでちょっとすっきりした気持ちになった

お昼には炊いたお粥も食べたのでもう一回セットして横になった

今日は天気が荒れるってことだったけどそんなことないじゃないか

散歩にでも行こうか、コンビニにいこうか、なんて午前中は思ったりしたけど

いやいや、お熱があるときは行ってはいけない、特に今時期はと自分をなだめる、理由、があって助かった

理由が明確にないと自分を責め続けてしまうから

横になってても今日はお風呂に入るか迷いっぱなしだった

お風呂に入ることを止めたら、よくない気がして怖かったのだ

それて入ろうという自分と、やめておけという自分に引っ張られてすごくつらかった

そんなことで?と思うかもしれない

いや、思うと思う

でも頭がいっぱいになってどちらがいいかわからなくなるのだ

先のことを考えるとどちらがいいのかわからなくてすごくつらくなる

お粥を食べているとき、何ヶ月もまえ、1ヶ月前、1週間前、自分は食料を買ってきてストックしては

そんなことしてていのか

お金は大丈夫なのかと

自問ばかりして責めていた

使いすぎじゃないかとか、買いすぎじゃないかとか

ストックしすぎじゃないかとか…

毎日そんな感じだった

でもお米がたくさんあって、沢山食べても安心なのも、不安ながらも、業者を見つけて買っておいた自分のおかげで、ナスの煮浸しが食べれるのも、ナスや調味料を買っておいてくれた自分だし、梅干しがあるなんて奇跡もつい数日前の自分の功績なのだ

夕ご飯ように、サラッとしたシチューのような簡単なスープを作ろうと思ったときも、シチューの素があるのも過去の自分のおかげ

入れる野菜がないと思ったけど、冷凍のほうれん草を買っておいて、いつ使うかわからなくても入れといてくれた自分のおかげ

吹雪に怯えながらたくさんソーセージを買っておいて、苦労して外袋を洗い、冷凍しておいた自分のおかげなのだ

どうして自分は自分を責めてしまうんだろう

つねにベストな選択を、絶対的に損がなく良い選択をしないと、誰かになにか責められたりしない選択をしないとと思って頭がいっぱいになってしまうのだ

すごく苦しい

今日はそんな自分に少し感謝ができてよかった

冷えピタも胃薬も風邪薬も…

買っておいてあって…

万が一のとき、助けてもらえない、じぶんの病気のせいで助けを呼べないから怖くて万全を目指してしまう

その不自由さと寂しさと、作り出しているのは自分という現実がわたしにはよくわからない

孤独が誰よりもだめで精神的にくるし

ある人から、森絵ちゃんはだれかがいてくれたらそれで安定するし幸せなのにねって言われたことをときどきふと思いだします

今日はゴミをまとめなくちゃいけなくてずっといつやろうか考えていやだった

前も書いたけど色々予定があるひと

忙しい人ならこんなことに頭が四六時中取られないって知ってる

予定をこなしてて、あ、そうだ!ゴミまとめとかなきゃってなって、さってやって、あーつかれた、なんてなるくらいだろうって

やるまで何時間も早くやってしまいたいって願ったりしないよなぁってわかってる

そして風の音がこわい

なんでこんなに風の音が怖いんだろう

吹雪のときもいつでも、とにかくすごい音をして連日吹いてるのだから、そろそろ慣れてもいいと思うのにこわい

どきどきして胸がざわざわして、あたまがわーってなる

それで、横になってるとき、YouTubeを見たら、過去に見た動画が上がってきて、ひさしぶりにみたら

うさたにパイセンというギャルの方のお姉さん、雑魚ちゃんという方が躁鬱病という動画をみつけた

そのときは大変だったんだなぁとかしか思わなかったけれど、雑魚ちゃんが、鬱の時は3ヶ月くらい、家から出られなかった

少し良くなってコンビニに行ったら、何をされたわけでもないのに、怖くてたまらなくて、わーとなったと言っていて

ハッとした

わたしの風もそうなのかもしれない

理性とか、普通ならこうだっていくら思っても

風の音がずっとすると、不安なような心持ちになって、首から肩にかけて、急に凝り出したり

ほんとうに気持ちが塞がって、頭がパニックになる

でも私が住んでるところは風がつよいのだから仕方ないし慣れるしかない

こんなことで、わーってなっててもどうしようもないし、どうにもできないし


なにより


だれも慰めてはくれないのだ

かわいそがってほしいわけでもない

ただ気持ちに寄り添ってくれることではないと大人だから知ってて

どうしようもできないのに、毎日苦しんでるのが嫌なのだ、そんな自分が嫌でたまらないんだと思う

でもこれもどうしようもできないんだ、受け入れるしかないんだなと、はっと気づいた

心理士の先生の言葉も思い出した

何かがこわいとか、できないとか

逆にどうしてもやってしまう(確認や拭くなどなど)はそのとき自分に必要だからするのだ

そんな自分とたたかっても苦しいだけ

自分とた違うのが、一番良くないって。

じゃあどうすればいいのか、まだよくわからないけど、今の自分が生きていくのには必要なんだって受け止めるということだった

わたしだって、拭いてたらつらい

やめたいって、ときどき叫んでしまうこともある

手洗いがやめられないときも、もうやめたいと泣きそうになることもある

でもその行為もつらいけど

お前はおかしいって言ってくるもう一人の自分からの責めが辛い

心理士の先生が言ってたこと

雑魚ちゃんが、誰も悪くないのになぜか怖いとYouTubeで何気なく言っていた体験談

それを考えると、その責めてくるもう一人の自分の声だけは少し小さくできる

拭いたりすることはやめられなくても、同時に感じてた、やめろ!という自分の責め、その二つにギュウギュウと絞られるのを、片方だけは弱められる

それだけでほんの少し楽になる


つい先日、コメントをいただいて、それがコロナによる人種差別と、わたしの病気はある意味に通っている、だから貴方が、自分の脳が間違った指令と気づいていてホッとした書いてあった

その方とは和解したけれど、それでも何度か思い出してしまう

以前はそんな自分を恥じて、流せない自分が嫌だった

流せないから鬱になるし、こんな病気になるし

そんな性格の自分が嫌だったのだ

でもわたしは、さすがに差別とこの病気を絡めてのことに関しては言及したく、以前ならぜったいしないことをした

相手の方にコメントをしたのだ

そうして分かり合えたのだけれど、まだ傷ついてる自分がいる

消化できない自分がいる

でも、仕方ないと思う

仕方ないけど、そこに留まっていてはいけない

飲み込めなくてときどき苦しいけど、思い出しちゃうけど

すべきことをして、生きていけば、きっと忘れる

薄れていく

わたしはそれを知っている

熱は現在37.4℃

お風呂入ってシャンプーしてコンディショナーもつけた

コロコロ床とこたつにかけた

部屋も散らかってない

お茶碗もあらった

サプリメントとプロテインもとる


お力添えありがとうございます。