見出し画像

不倫はなぜいけないのか? 一つの試論

 不倫は読んで字のごとく倫理に反するものであり、つまり悪とされています。というか、ここまで明確に倫理違反であることがその言葉に内在しているというのもすごい。

 しかし実際には、不倫はそこまで深刻な悪だとは通常とらえられていません。いや、たしかにテレビとかインターネットでは芸能人の不倫バッシングがしばしば行われますが、これは一種のお祭りのようなものであり、大衆の気晴らし程度のものだと私は思います。殺人・盗みなどの悪とは比べようもありません。とくに最近では、「芸能人の不倫バッシングなんてくだらないよ」という風潮も強まっているように感じます。

 とはいえ、「不倫は悪」だという命題は、少なくとも表面上はいまだ健在です。では、なぜ「不倫は悪」なんでしょうか。

 そもそも不倫とは何でしょうか。念のため確認しておきます。

道徳にはずれること。特に、配偶者以外と肉体関係をもつこと

goo辞書

 

既婚者が異性間のことで、パートナーに説明できない関係を持つこと

同上

 だいたいこんな感じです。いちゃもんになってしまいますが、二つ目の定義は、面白いもののあまり正確ではないですね。「説明できない」の部分が何でもアリになってしまうので、たとえば、「ある女性と国家転覆を共に目指す関係となってしまった(ので説明できない)」とかでも当てはまってしまいます。

 それはともかく、ではなぜ「配偶者以外と肉体関係をもつこと」がいけないことなのでしょうか。

 もちろん、そもそも道徳(倫理)の根拠は究極的には言語化できないのですが、だとしても道徳が存在しているのは事実です。
 人によっては「不倫ok~!」ってひともいるかもしれませんが、そういう人はかなり少数派だと思うので、いったん考えないことにします。余談ですが上野千鶴子は結婚に反対し、不倫を肯定していたようです。

 たしかに、人を好きになる気持ちは自分でコントロールできるものではありません。「だから」不倫は全然オッケーだ、とは思いませんが。


 で、不倫がなぜいけないのかといえば、ひとまずは「結婚」というもののルールに反しているからと言えます。カントは「結婚とはお互いの性器の独占的使用である」と言ったらしいですが(出典は忘れました)、それをふまえれば不倫が悪なのは明らかです。

 結婚がお互いの独占的な所有であるとするなら、不倫はこれを壊しますから、いわば「盗み」という意味で、不倫は悪だといえるかもしれません。泥棒猫とか言いますしネ。ただこれだと、はじめから複数の所有が想定される一夫多妻的な関係は肯定されます。

 しかしこれではほとんど同語反覆の域を出ません。ちなみに、ここでの「結婚」とは「現代の一般的に考えられている結婚」を指すことにします。というのも、私には文化人類学などの知識がないので、過去の婚姻制度を参照しつつ考察することができないからです。

 現代の結婚は基本的に、愛し合った男女が結ばれることを指します。そこには様々な打算が働くとはいえ、完全に〈愛〉抜きの関係で結婚することはまれでしょう。ここでの〈愛〉とは、アガペーではなく、一般的に考えられているものを指します(性愛と言い換えてもいいのかもしれない)。ようするに結婚とは、「お互いのことを好きだから」するもののはずです。

 で、なぜ不倫が悪かといえば、この〈愛〉を破壊するものだからと言えるでしょう。なぜ〈愛〉を破壊するのかというと、結婚相手を代替可能な存在とみなすことになるからではないでしょうか。それは言い換えるなら、「あなたそのものを愛しているのではない」と言っているのと同じです。

 人を愛するということは通常、「その人を」愛することを指します。パスカルは「そういうことは不可能で、人はその人の属性しか愛することができない」と言っていましたが、普通そうは考えられていません。というよりも、このパスカルの言葉は一定の真理であることをみな感じつつも、基本的にはそのことは隠蔽されているといえるでしょう。

 不倫がダメだということは、一夫多妻制(一妻多夫制)はダメだということです。結婚相手、つまり愛する人は一人でなくてはいけない。なぜなら、二人以上を「愛する」ことはできないから――こう言えるのではないでしょうか。

 つまり、一人の人を愛している間は、「その人を」愛しているといえる。しかし二人以上の人を愛してしまうと、「その人たちを」愛していることになりますが、果たしてそういうことは可能なのでしょうか。その場合には、「その人そのもの」を愛しているのではなく、「その人たちのもつ属性、要素」を愛しているということになってしまい、それによって〈愛〉が破壊されてしまうのではないでしょうか。例えるなら、「リンゴが好き」だった人が「ミカンも好き」になると、あなたはリンゴが好きなのではなく果物が好きなのですね、となるようなイメージです。

 というわけで暫定的な結論としては、不倫は、相手を目的として扱わず、自分のための交換可能な手段として扱うために倫理に反する。こう言うことができるのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?