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さだまさし 秋桜


 さだまさしの曲は全然趣味じゃないし、そもそもよく知らないんだけど、この「秋桜」は本当の名曲だと思う。

歌詞↓

淡紅の秋桜が秋の日の
何気ない陽溜りに揺れている
此頃涙脆くなった母が
庭先でひとつ咳をする

縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話くり返す
独言みたいに小さな声で

こんな小春日和の穏やかな日は
あなたの優しさが 浸みて来る
明日嫁ぐ私に 苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと 笑った

あれこれと思い出をたどったら
いつの日もひとりではなかったと
今更乍ら我侭な私に
唇かんでいます

明日への荷造りに手を借りて
しばらくは楽し気にいたけれど
突然涙こぼし 元気でと
何度も何度もくり返す母

ありがとうの言葉をかみしめながら
生きてみます私なりに
こんな小春日和の穏やかな日は
もう少しあなたの子供で
いさせてください


 まず26歳の男(さだまさし)が結婚前の女性とその母の話を描くのがすごい。さだまさしは基本的に保守的というか説教くさいイメージだしこの曲もまさにそんな感じだけど、そのスタイルがあまりにも洗練されているから臭みを感じない。

 なにがすごいって、無駄な部分が欠片もない。そのくらい良い曲なら当たり前と思われるかもしれないが、しかしこれだけ情景が鮮やかに浮かんできて、それでいて説明的ではなく味わいが滲みだしているのは尋常ではないだろう。

 こういう道徳の教科書みたいな歌を作るのはなかなか難しいと思う。「反体制」的な雰囲気の曲は色々あるけど、「教え諭す」スタイルはよほど出来がよくないと聴くに堪えないんじゃないだろうか。

 この手の人だと他に福山雅治がいる。福山も「家族になろうよ」とかいってけっこう道を説いているが、さだの領域には遠く及ばない。「いつかお父さんみたいに大きな背中で・・・・・・」くらいならわりと普遍的な目標というか、応援ソングとして通用する。しかしさだにかかれば、「ありがとうの言葉をかみしめながら 生きてみます私なりに」となる。これはもう完全に昭和の世界観だろう。この曲を聴いて浮かんでくる情景も平成や令和ではありえない。なぜって、縁側で母親がアルバムをめくっているのだから(!)。

 だいたい今時「嫁ぐ」なんて言うのだろうか。曲の締めも、「もう少しあなたの子供でいさせてください」て、いや、そんな歌詞ありかよ・・・。あまりにもさだまさしワールドすぎる。

 これはもはや「さだ教」と言ってもいいかもしれない。イントロからなんか神々しい感じがしてくるし。中島みゆきにも同じ(というかそれ以上の)オーラを感じる。一定のレベルを超えた歌手は宗教性を身にまとってしまうのだろうか。

 時代錯誤というと批判的すぎるけど、現代に合っていないのは間違いないだろう。もしかしたら、もう少し経ったらこの曲は忘れ去られてしまうかもしれない。でもぼくはこの曲は未来に受け継ぐ価値があると思う。そう思ったので急遽、勢いだけでこのnoteを書きました。


※ちなみに僕は「関白宣言」はまったく好きじゃない。ある種の名曲ではあるのかもしれないが、流石に保守的すぎる。「結局奥さんが大好き」とか「ダメな男が精一杯良い格好しようとしている」といった見方もあるが、そもそも土台が古臭すぎてそれ以前の問題感がある。


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