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「社会人」とは何か?

 ウィキペディアによればこうだ。

社会人(しゃかいじん)とは、日本語において、社会の中で働くを表わす抽象的な語。多くの場合、学生や未就学児は除外される。日本語以外の諸外国語では日本で言うところの『社会人』をさす言葉はほとんど見られない。たとえば英語ではworker(労働者)やadult(成人)、citizen(市民)という単語はあるが、日本語の『社会人』にあたる単語・表現はなく、最も近い表現では『participant in civil society』。

 アプリ版の新明解国語辞典の説明では「実社会で働いている人」となっていた。しかし実社会とは何だろうか? もう一度新明解で調べてみると「実際の社会」と書いてあった。しかしこれではあまり説明になっていない。

また実用日本語表現辞典によれば「社会人」とはこうだ。

社会人(しゃかいじん)とは、一般的には学生無職などの身分除いた職業を持つ成人を指す言葉である。社会人は、自身職業における専門知識技術活用し社会一員として働き、生活を営む。また、社会人は、社会的なルールマナー理解し遵守することが求められる社会人には、公務員企業員、自営業者フリーランスなど、様々な職業存在するそれぞれの職業には、特有の役割責任があり、それを果たすことで社会全体機能維持されるまた、社会人として行動態度は、個人信用評価にも影響与える。

https://www.weblio.jp/content/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA

 これによれば、「職業をもつ成人」が社会人である。

 では、主婦は社会人なのだろうか? 人によって印象は異なるだろうが、参考になる記事があった。

 ここには「大学卒業後、事務のアルバイトを経て結婚し、4人の子育てに追われてきたので、まともな社会人経験はゼロ」という文章がある。ということは、少なくともこの記事では主婦は「社会人」ではないということだ。しかし「主婦は社会人だ」という趣旨の文章も見つかるので、これだけでは断言はできない。

 また、ある人材派遣会社と思わしき企業のページにはこう書いてあった。

「社会人としての自覚」とは、組織の一員という認識を持っていることです。

 となると、組織に属していない人は社会人としての自覚を(構造的に)もつことができないことになる。つまり、個人投資家とか、一人で事業を行っている人とか、作家などは社会人の自覚を構造的にもつことができない。とするなら、これらの人々は社会人とは言えないだろう。

 要するに、最初のウィキペディアにもあるように、「社会人」とはとても抽象的で曖昧な言葉なのだ。だからダメだ、というわけではもちろんない。しかし、これらの記事からもわかるように、恣意的な意味を込めて使いやすい言葉だということは意識しておくべきだろう。なぜなら、「社会人」という言葉は、中立的なカテゴリーであるという顔をしているが(社会を構成している人という意味で)、実際には、さまざまな規範性や道徳性が含まれているからだ。「社会人」とグーグルで調べるとすぐ上の方に就活サイトや人材派遣会社の「社会人としての心構えが云々かんぬん」と書いてあるページが出てくる。べつにそれで問題はなにもないのだが、多分に規範性、言い換えるならイデオロギー(マルクスの意味ではない)性を含んでいることは間違いないだろう。

 ここでぼく個人の「社会人」の定義を示しておくと、「雇う人と雇われる人、つまり投資家、経営者と労働者の総称」となる。いまパッと思いついた定義だが、これはすでにみた説明を結構網羅しているのではないかという気がする。これだと厳密には公務員は「社会人」から外れてしまうが、「雇われている(賃金を得ている)」という点で、ギリ入っているのではないかという気もする。

 そしてここからはぼくの憶測になるが、この「社会人」という言葉は、会社が「雇う側と雇われる側」という異なる立場の人間で構成されているという事実を、覆い隠す効果をもっているのではないだろうか。また、「労働者」という言葉を使わずに人を組織に従わせる、「雇う側」に都合のいい言葉となっているように思う。

 言葉は思考をつくる。何気ない言葉にこそ最も強力なイデオロギー性が秘められているというのが僕の自論だ。


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