23.4.26 エネルギーをつかうべき本当のところは?

私は一体何をやっているのだろう。

笑顔で起床。

早く準備をしなさい。

喧嘩をするんじゃない。

「仲良く遊んでいるだけ」と話す二人に、喧嘩をしたら泣いてしまって「学校に行きたくない」と言われることに怖くなって勝手に怒る感情が出てくる。否定の言葉を2人に浴びせ続けた。思い返せば、それは全部私がイライラしたことに対しての子供たち二人への八つ当たりだ。今日、私は、二人を急かした。

声をかけた後に、待つことをしなかった。できなかった。


結局、「行かない」と言われ、イライラを抑えられなかった。

自分で、昨日学校に行く、と決めたはずでしょ!どうして自分が決めたことをやらないの!強く感情、怒りをぶつけた。


「いやだいやだ」とずっと同じ言葉を言い続けることに対し、ランドセルを投げつけた。本当はもう叩きたかった。蹴飛ばしたかった。どっか存在を消してしまって楽になりたいとさえ感じてしまった。おぞましい。でもこれが本当の正直な気持ち。


ぞっとする。

そんな感情が溢れてくることに。我が子に対して、酷すぎる感情を抱くことに。


追い詰められてるからこういうことを考えるんだと思う。

毎朝の行く行かないの連続決めていくこともストレス。誰に相談するわけでもなく、自分でただ1人で抱え込まないといけない。(シングルだから)責任を勝手に感じ、潰されてしまっている。


本当は笑顔で過ごしたい。

本当は笑って過ごしたい。

本当はじっくり待ってあげたい。

本当は…、の気持ち、全くできていない。


学校に行かなくたって別にいいそんな事はよくわかっている。

でも私の1番底の部分で、「行かなくてもいいよ」をわかっていない。

「不登校」「学校に行かない」ことから発生する、いろいろなめんどくさいことを考えると、「投稿してくれれば」全てが解決するから、楽なのに、と思ってしまう。

そこだよな。

結局自分が楽したいから、子供に無理強いをして、子供の選択を認めてあげることができない母親になっている。

母親の立場を捨てて、1人の人間として考えれば、「学校に行きたくない」「休みたい」気持ちは尊重されないといけないと思う。母の私が、本当にやらないといけない、エネルギーを費やすことは答えが見えている気がした。「登校したい」「学校に行きやすくするためにはどうすればいいのか」そこが今の生活で1番大事なこと。


なんだかんだと周りがいうかもしれない。

世間一般の常識がいろいろあるかもしれない。

でも、ありもしない理想や実態のない普通を押し付けてはいけないんだ。


感情が高ぶったこと。それは私にとって反省することだと思う。だけど、後悔はしていない。母親である私にも感情がある。それは子供にも伝えて良いはずだ。ただしその感情の伝え方が、恐怖心を植え付けた。その点に関してはしてはいけないことだと振り返って思う。


反省して、感情を吐き出して、涙を流しながら、また明日も頑張ろう。

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