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社会人一年目を2週間で終えた話。



私は国家資格を取り、学校を卒業し、内定していた会社に就職した。

就業時間9:30~18:00。
昼休み60分
給与20万。
完全週休二日制

条件だけ見れば新卒ならまあまあじゃないかと思う。

蓋を開けた私は絶句した。


初日、9:30ちょい前に会社に着くと指定されたとおりに鍵を開け、おはようございますと誰もいない職場に挨拶をした。

新人の仕事だからと掃除を任されていたので掃除をし、宅配を受け取り

10:30 社員が出社してくる。

そこから仕事がはじまるのだが


17:30
上司からの質問
「何時くらいに定時がいい?」

(は????確か、求人には18:00と書いてあったはず…)

「20時までには上がりたいですね…」

「そうね〜終わればいいね」

20:30

上司「今日はもう上がっていいよー」

「あ、はい、お疲れ様でした」


今日はっていった…雲行きが怪しいことに初日から気づいていた。いやしかし気づかないことにしとくのが幸せと気付かないふりをした。


2日目
9:30
掃除終わらせ待機

11:00
社員出社

21:30
退社(ちなみにタイムカードなどない)

正直体が無理だと叫んでいる。しかし、行かねばならない…、せっかく雇ってもらったのだから。

休みを挟んで次の金曜日。

9:30
掃除を終わらせる

10:30
パートの人が到着。新人いびりがはじまる。

12:00
社員到着

26:30
退社

27:30分家に到着


(は????)


26時を回ったあたり
先輩「これ終わるまで帰れないよ〜(他社員と談話しながら)」

「はい、すみません」

結局、仕事は終わらなかった。
土日またいだらその仕事の続きをしなくちゃ。
今度こそ終わらせなきゃ。

月曜日、体は動かなかった。
気持ちだけ焦った。指すらまともに自分の体ではないような鈍さでズルズルと引きづるような感覚だった。
スマホを取ると休みますとだけ打って
送信した。

無理やり体を動かしたらベランダから飛び出すんじゃないか?そんな死という恐怖があった。

今はあの時の行動が自分の命を守る行動だと実感出来るが、当時はそうは思えなかった。
ひたすら悔しかった。

1人前に出来ないことが、言われた通り出来ないことが情けなかった。

あの程度で通えなくなるのが
「なんで」の繰り返しだった。

みんな周りは当たり前のようにやってる事が自分は出来ないんだと思った。

その後は病院に行って、診断書を貰って少し休んだ。休めばまた勤められるのかと不安ばかりつのった。

気づけば蝉がなきはじめていた。

面談に行くと
「これ以上は給料が保証出来ない」と言われた。

だから、辞めた。
給料が出ないなら、居ても仕方ないやと思えた。
1日8時間労働と換算して残業2週間で50時間以上。

「保険料と税金抜いといたから」と渡された給与袋には8万と小銭がちょっと。時給換算だと300円ちょい?
貰えただけありがたいと思った。

命を守って手に入れた、初給料。
自分の価値はこの程度だと思った。
妥当な金額だと笑って、残しておくのも嫌だから直ぐに使い果たした。

巡り巡ってまた春が来て
7年ぐらい経つがまだまだフラッシュバックが起こる今日この頃。

ふと、私はなんのために頑張るんだろうと思った。

最初は生きるためだった。

でもそれって辛すぎる。
ひ弱な私は生きるために働けない。
心が先に死んでしまうから。

楽しくないと生きてる気がしない。
自分の時間が大事なのだと思った。

自分の時間を楽しむために、自分の好きな事をするための時間を買うために働きたいと思った。

堅苦しい考え方だが、それが1番しっくり来た。

上司がいった
「こんな仕事のために死ぬ必要ないよ」

(私にとってはこんな仕事が全てだった)

毎日、必死にしがみついて
言われた言葉がこれかと最初は周りに笑って話した。

思っても、思っても
悔しさばかり。憎さなんて出てこなかった。
いっそ憎んで相手のせいにして逃げられたら良かった。

人のせいにできるほど落ちぶれたくなかった。

そんなに強くもなかった。

先輩がいった
「あれはもうダメだ」

私もそう思う。
あの時の私はダメだった。ダメなりに1番迷惑をかけない方法を選んだつもりだ。
2週間ずっと眺めた通勤電車。明日が怖いと思いながら乗り続けたバス。

全部全部、無駄じゃないのに。

ちゃんと向き合ってたのに。
前を無理やり向いて、食欲もないのに食べて
寝てもいないのに起きて、全部私が生きるためにやったことだ。

「こんな仕事」のために私が勝手にやった事だ。

社会復帰が1番の見返す方法だと思った。
だから必死にしがみついた。

就職訓練や福祉施設も使って必死に普通になりたがった。

何度も何度も体が心が悲鳴を上げて、立ち止まって休んでまた足掻いて
その繰り返し。疲れた。
疲れたけど生きたいって思った。死ぬのもったいないって思った。

大人になって好きなことが増えた。楽しいと思えることがあった。幸せだと思う。
だから生きたかった。

主治医に
「あなたらしくいられるように生きなさい」

と言われた。

心が死ぬと私は義務でしか動けなくなる。
余裕が無くなると好きなことすら出来なくなる。

心を殺さない生き方。
余裕を持った生活。

理想だった。望まれていた正社員とかそんな感じの夢は少なくとも、今は非現実的で、何度も何度もチャレンジしても心が死ぬから続かない。

気づいてた。向いてないんだ。
好きじゃないことが続かない。
やり甲斐とか、達成感を感じたことがない。
ただただ、責任ばかり感じることを責任感だけで続けようとしてた。そうあるべきだと、そう思ってた。

こんなのって辛いだけだ。
昔から言われてた言葉
「好きなことを仕事にできるのなんてひと握りの選ばれた人だけ」
そうだと思ってた。私は仕事は楽しくないものだと受け取っていた。実際楽しくもなかった。

仕事は責任を負う行為で対価を貰って業務の責任を被るものだと、きっとそれがみんなは違うふうに見えているんだと。

そう見えないのは私のワガママだと
そう思ってた。

何度も何度も、挫折して
その度に自分の出来の悪さを責め立てて、自分で傷を抉っていた。

できることが当たり前で
出来ない人は異常だと

どんなに頑張ってやってもそれが当たり前。

真に受けてた。
当たり前とか、普通とか
難しいことをやってもいない人の評価を
そうであって欲しいと思う周りの都合の良さを
勘違いしてた。
そうでなきゃいけないと、許されないんだと思い込んでた。

私は私らしくいられることをずっと見ないふりしてたんだ。自分を押し殺してきたんだ。

そりゃ辛いよね、本当が分からなくなるよね。

あれはダメだと言われた時、怒ればよかった。
教え方が悪いとか、いきなりそんなこと求めないで欲しいと、怒ってよかったと思う。

教わっていないことを押し付けられて出来ないと怒られる事が理不尽だと反発して、こんなところについていけないって自分から辞めとけばよかった。

そしたらもう少し、自分が納得することが出来たのかもしれない。

今更、喚けない。今怒っても何にもならない。
あの時だから意味があったんだ。
怒るって納得するための行為なんだ。

そこから解決していくために必要なステップをだったんだ……。

もう、自分が何をしたいのか分からないけど
自分が好きなことを少しずつでも見つけられたらいいかなと思う。

表現するのは好きだし、人の話を聞くのも好きだ。今はそれしか分からないけど、それでいいと思う。

少しずつ、世界が見えてきたら
心が揺れ動く瞬間を大事に出来たら、私はきっと幸せなんだと思う。


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