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ハンガリーと私

1997年の冬、文通相手に会うためはじめてハンガリーの地に降り立ちました。冷たい乾燥した空気に立ち込める葉巻たばこの匂い。首都ブダペストだというのに舗装されていない砂埃の舞う地面。英語による表示はまったくなく、ハンガリー語に続いてロシア語、そしてドイツ語。人々は物静かで腰が低く、他国の圧力を受けてきた民族という印象を受け、まだまだ発展途上の様子にカルチャーショックを覚えました。

ハンガリーの教育のひとつに、この国を代表する作曲家ゾルターン・コダーイの考えに基づく音楽教育があります。ハンガリーを旅するならコダーイの生地ケチケメートを訪れ、コダーイ・システムに基づく音楽小学校(又はコダーイ小学校)を見学したいと思っていました。

ブダペストから電車でケチケメートへ。小学校ではちょうどリトミックを取り入れた体育をしていました。初めて見る日本人に子どもたちは興味津々で授業の邪魔になり(笑)。

その他リスト音楽院でオーケストラの練習を見学、バルトーク記念館訪問と音楽三昧。文通相手の彼女がいなければ、文字ひとつわからず決して自由に動くことはできなかったはず。文通相手募集という雑誌記事に載った住所に送った一通の手紙から、私の中で大きく世界は広がり、百聞は一見に如かずとはいいますが、肌で感じることの大切さを知ったのです。

私の音楽人生は、小学2年生のときに観た『白鳥の湖』(アニメ映画)で流れるチャイコフスキーのかの曲に深く感動したことから始まります。あとから知ったことですが、この演奏は、ステファン・ゾルテスというハンガリー出身の指揮者によるものでした。知らず知らずのうちにハンガリーとのつながりが始まっていたのかもしれません。


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