グレゴリオ聖歌

心に届くということ

解決するための方法や手段がわからず困っているという声を聞いて協力したら、「神様に思えた」と言われました。キリスト教を信仰しているその人にそんな風に表現されるなんて、ビックリ。

カトリック・イエズス会を設立母体とする勤務先の大学は、西欧音楽の源泉であるグレゴリオ聖歌を必須科目とし、また、大学の重要な式典は、隣接するカトリック幟町教会 世界平和記念聖堂でのミサから始まり、学生たちは入学時からカトリック教会のミサを実際に体感するのです。信仰する宗教が何であろうと、無宗教であろうと問題ではありません。ローマ・カトリック教会の歴史を学ぶこと、カトリック教会のミサで歌われ続けているグレゴリオ聖歌の知識、演奏技能を身につけることは、西欧音楽を学ぶものとして教養であり欠かせません。

同大で学んだ私自身も、グレゴリオ聖歌を専門とするわけではないにもかかわらず「5線譜」とは異なる「ネウマ譜」を読むことができ、イタリア滞在中に出席したミサで違和感なく聖歌集を手にとって歌い上げると「アジア人がなぜ知っている⁉なぜ歌える⁉」と大変驚かれたものです。

フランシスコ

2019年11月。1981年のヨハネ・パウロ二世以来、再び教皇が来日されます。イエズス会士として初の教皇フランシスコ。グレゴリオ聖歌で教皇をお迎えするという動きが、当初、大学関係者の中でありましたが、発表された広島での滞在時間は移動を省き、正味45分。広島での訪問地は平和記念公園のみとなりました。いずれにせよ、その姿を、その声を、その心を直に受け止めたいと、教皇の来広を心待ちにしている人は数知れず。

信仰心の深い方に「神様に思えた」と言われるなんて。

一瞬驚いたのですが、その人を思って行動したこと、その人の為に自分の可能な力を捧げたこと、それが相手の心に届いたのではないか、それが「神様に思えた」という言葉になったのではないか、と思ったのです。

それが「愛」であり、「平和」だと思うのです。


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