山に咲く桜、都会に咲く桜 ‐ 桜の起源を訪ねて
この時期、ふわっと風に舞う淡いピンクの花びらをみていると、いよいよ春の訪れを感じますね。今回は、知っているようで知らない桜のあれこれを書いてみました。お花見のお供に楽しんでいただけたらと思います。
ふと気になった山桜
先日、奥多摩へ行ったとき、
山に咲いている桜をみて、「あれ?桜は種を蒔けば育つの?接ぎ木(つぎき)で育てるの?」と気になってしまいました。
調べてみると日本で自生する野生種は11種。
なかでも江戸時代以前からの主要な祖先種は、山桜(ヤマザクラ)、大島桜(オオシマザクラ)、江戸彼岸(エドヒガン)、霞桜(カスミザクラ)の4種だそうです。その他は、基本種から育成された園芸品種で、その数は300種にのぼるといいます。
古くからの日本文化を彩る桜
桜は、昔から日本人の生活に深いかかわりを持ってきました。『日本書紀』には、桜花を詠う最古の和歌が記されています。
この和歌は、允恭(いんぎょう)天皇によって詠まれたもので、衣通姫(そとおりひめ)の美しさを桜花に比べて讃えているそうです。これが植えられた桜とすれば、最も古い栽培されている桜樹を表現していることになります。
その後も万葉時代や平安時代には、桜が歌に詠まれています。
奈良時代には木々の枝葉を折りとって、髪や冠にさす挿頭(かざし)という習慣があったそうです。山などに生育している樹木の枝葉は土地の神の霊魂を宿していると考えられ、それを人の頭部に飾ることによって、長寿を祈ったといいます。長寿への願いを象徴する挿頭と桜花の儚さの対比が奥深い歌です。
平安時代になると桜を題材とした歌が増え、古今和歌集には桜が題材の歌が70首も詠まれています。
江戸時代の染井村からはじまった「染井吉野」
都会でも定番となったソメイヨシノは、江戸時代の終わりに「吉野桜」として染井村(現在の東京都豊島区駒込)から広まった栽培品種。当初、吉野桜という名前で売り出そうとしたそうですが、吉野山のヤマザクラのようで紛らわしいということで、ソメイヨシノとしたそうです。
ソメイヨシノは、エドヒガンとオオシマザクラを交配させ、雑種として生まれたとされています。その起源については複数の説がありますが、各地に広がったソメイヨシノの祖先は、江戸時代に生まれた1本の桜だそうです。
桜には「自家不和合性(じかふわごうせい)」という性質があり、ソメイヨシノどうしでは交配できません。そのため、ソメイヨシノは人の手を介した接ぎ木によって数を増やしていきます。接ぎ木には、桜の芽(接ぎ穂)と、その芽を育てる台木が必要です。台木に切れ目を入れて、接ぎ穂を挿し込み、枝と台木を密着させ育てます。
津々浦々に植栽されているソメイヨシノは、接ぎ木で増やしたものですので、江戸時代に生まれたソメイヨシノと同じ遺伝子をもったクローンということになります。遺伝子が同じであれば、開花する環境条件も同じですので、春の訪れとともに、桜が一斉に咲き乱れる美しい光景が広がるのです。
多様な桜を築いた無名の育種家たち
世界にある桜のうち、日本にない桜はないといわれるほど、私たちが暮らす土地には多様な桜が存在しています。古くから日本では、無名の育種家たちの趣味によって栽培され、桜の木が増えたと言われています。
稀代の「桜守」として知られる佐野 藤右衛門は、日本の桜について「山の中へ入ったら、まだまだある」と言っています。
さいごに
山に咲く桜をみて、ふと気になった桜。
満開の桜の景色は、いよいよ本格的な春の訪れを感じるものとして、私の幼少期の頃の記憶から、当たり前にあるものでした。
しかし、そんな桜はどのように生まれ、いつから人々の生活の一部となり、日本の文化を象徴するようになったのか…
今まで考えたことがなかったので、少し調べてみましたが、その神秘的な存在について知れば知るほど、限りのない好奇心を掻き立てられるものでした。
そんな「ものすごく奥が深い」ものだからこそ、長きに渡って人々を魅了し続けているのかもしれませんね。
参考文献:
勝木 俊雄『桜』岩波新書,2015年
有岡 利幸『桜〈1〉 (ものと人間の文化史) 』法政大学出版局,2007年
佐野 藤右衛門『桜のいのち庭のこころ』草思社,1998年
農林水産省,日本の桜の歴史(https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2303/spe1_02.html)
森林・林業学習館,日本の春の象徴「桜」(https://www.shinrin-ringyou.com/topics/sakura.php)
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