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タラントのたとえ話

私は昔、タラントのたとえ話を聞いたことがあります。主人が能力によってお金を分け与え、沢山もらった人はそれを使ってもっと増やしたが、1タラントしかもらえなかった人は失うことが心配で土に埋めておき少しも増えなかったが、そのことで、主人に叱られてしまうというようなお話。(正確ではないので、ぜひ、本物をお読みください。)

その時は、「1タラントしか与えられなかった人」にすっかり感情移入してしまい、なんてひどい救いのない話なんだ!と思いました。ですが、今は、自分にとってすごく教訓になる話だなあと思います。

私の想像ですが、おそらく、与えられたものがわずかであろうがなんであろうが、与えられたものは使おうよ。という話に思えます。例えば、私に置き換えてみると、文章や詩を書くのは好きだけれど、特別才能があって有名人というわけでもない。なので、時々、あまり見る人もいないのに私はどうしてnoteを続けているのだろうと思います。けれど、例えわずかであろうとも、ふてくされて何もしないより、少しずつでも書き続けることはいいことなんじゃないかと思うのです。この話を読むと。たとえわずかの才能であっても使おうよ。と。

そして別のお話なのですが、例えば今の様に共働きではない時代に企業に勤めていたのですが、女性が目立つと叩かれるので、謙虚さを心がけていました。が、これも、だめなんだと、今になって思います。持っている能力は使わないとだめなんだ。と思います。どうやら、目立つ途中が一番たたかれやすいようで、それを突き抜けると、もう大丈夫になるようなのです。何が言いたいかというと、過度な謙虚さは、1タラントを土に埋めるのとおなじことなのではないかと。能力は、ちゃんと、表に出して、使おうよ。と今なら思えます。

世の中のすべての人がそれぞれの能力を力いっぱい表現できる世の中になるといいなと思います。



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