[何者]であるかを追わない。

[何者]かを目指して、挫折し苦悩してる人を見ると、

浮遊(ノマド)すればよいのにー。と思うことあります。


[何者]っていうこと自体、社会の中で表現されているだけで、

あなたは「あなた。」でしかない。


外に答えを求めてもおそらく無いだろうし、

かといって内側に答えを求めても

(自分探しも同じようなことかもしれないけど)

おそらく「答えはない」


ただ、懸命にもがいた結果だけは残るから、

その残ったキラキラしたものを大事に貯めて行けば、

自ずと形成されてくる気がする。


フリーランスになってから(特に最近では)肩書や、

(時と場合によっては)名前さえ名乗らなくなった。


他者からみて感じてもらったことが「私」であるので、

「私」が[何者]かを事前に説明する必要はないし、

ホントに必要なら、Web上に情報はある。


ユラユラ(浮遊)しながら懸命に生きてれば

[何者]かは他者が決めることで、自ら追わななくて済む。


【ノマドの思考】「遊牧民的生活の復権を目指す思想。権力を嫌い、境界を越えて流動し、多様な生活を同時に生きることなどを唱える。」(「コトバンク」より):ジル・ドゥルーズ



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