選択と後悔はしない
「する、しない」生きてると常に選択を迫られるのだけど、その時々の判断に後で後悔する人も多いかも知れません。
後悔はあとから書き換えられる事もあるけども選択は目の前に「ある」かのように感じるのは何故だろう。
やるもやらないも時の流れに任せておけば方向性は概ね決まっていて、限られた情報や占いに頼ることもあるかもしれないけど、それも含めて大きな流れの中にありそう。
ポイントはどのような状況下にあっても向き合って助けを借りる事かなと思います。
その向き合う術(教養)と助け(人徳)を持ち合わせていれば選択も後悔もしなくて済むのではないのかな。
と、少し考えてみたり。
デカルトの言葉から
どこかの森に迷い込んだ旅人たちは、あちらへ向かったり、こちらへ向かったりして迷い歩くべきではなく、いわんやまた一つの場所にとどまっているべきでもなく、つねに同じ方向に、できる限りまっすぐに歩むべきである。その方向を彼らに選ばせたものが初めは単なる偶然にすぎなかったかもしれぬにしても、少々の理由ではその方向を変えるべきではない。というのは、旅人たちは彼らの望むちょうどその場所に行けなくても、少なくとも最後にはどこかにたどりつき、それはおそらく森の真ん中よりはよい場所であろうからである。
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