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コミュニケーション的理性

このところ、開発・製造案件に翻弄されてて、抽象的思考が滞っていたので、本を取って少し脳内旅をしてみよう。

ハーバーマスの対話的理性(いわゆるコミュニケーション理性)では以前に語られていた自然や人間を支配する為の道具にすぎないとする「理性」を対話することによって自分の考えを改めることができる。ただし、対話はお互いに何でも言い合える条件の下で行われる必要がある。という考え方。

コミュニケーション能力の高い人類は特有の理性を持っているのだけど、これの注意点は上下関係のない条件下で行われなくてはならない。というところに注目したい。

ん?上下関係のない世界、、、あるだろうか。

親と子、先生と生徒、上司と部下、社会と個人、様々な場面において、程度の差はあれど上下と位置付けない領域は難しい。

そもそも立ち位置はその時々で変わる。それこそ親と子、先生と生徒、上司と部下は時が経つと逆転するだろう。

ポイントはその上下関係と思わせない人柄(一部では教養というだろうか)に自身が育つかではないでしょうか。

結局のところ、自己の成長によって対話力は高まるという、当たり前だけど(自分も含めて)当たり前ではないことを認識することが大事なのかも。という脳内旅でした(マル)




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