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「仏教婦人会」を改名した話 ①

きっかけ編 | 「婦人会長」を廃止する


 足掛け3年。当山、明行寺の「仏教婦人会」が改名された。そんな話をすると、興味を持ってくださる方がいらっしゃる。今にしてみれば変わるべくして変わったのだな、と思われる経緯を振り返ってみた。


「婦人会アドバイザー」の誕生

 2020年12月、長年に渡り婦人会を支えてくださった会長のRさん、副会長のKさん、会計のNさん3名の任期が終了した。その少し前から、次の会長をお任せすべく、この方はという方々にお声掛けをしていたが、反応は一様。

「何でもお手伝いさせてもらいます。でも、会長だけはお断りします」

 残念そうに、気まずそうに、不安そうに顔を歪ませる。いつも頼もしく、かつ楽しそうにお寺参りやお賄いをご一緒くださる方々が、みんな辛そうに表情を曇らせるのだ。
 思いましたね。この有難い人たちに、こんな顔をさせてはいけない。年々、集落からは人間の数が減り、若者はほぼ皆無、先々といえば心配事ばかりの極端な過疎地で、これまでの50年と同じやり方が通用しなくなるのはどうせ時間の問題だ。一部では「お寺の役を受けると死ぬまでこき使われる」という、地獄のような言説も耳にする。「法の邪魔をする」とは、このことではないのか。住職と相談し、最後の婦人会三役に提案した。

「婦人会の会長を廃止して、役員に上下のないフラットな組織にしてみてはどうでしょうか」

 明行寺の婦人会として、組(教団における最小エリア行政単位)内の行事などに「会長」の出席がもとめられるときは、都度相談して役員の中から代表者を決めよう。問題が起きたらそのときに対応を検討していこう。やってみて駄目だったら、戻したって良い。そんな意見とともに、Rさん、Kさん、Nさんは「役員は降りるけど、いつも助けに来るよ」とか「一緒にがんばろう」とか「有難う」などと、心のこもった声をかけてくださる。こんな有難い人たちがいてくださるなんて、明行寺、なんて恵まれたお寺。
 新たに、3名の「婦人会アドバイザー」が誕生した瞬間だった。


「婦人会アドバイザー」と課題を洗い出す

 毎年3月、春季彼岸会にあわせて「婦人総会」が開かれる。そして例年、総会の内容は「婦人会役員会議」で事前に協議、確認を行う。この役員会議の俎上に、今何を載せるべきか。婦人会長の廃止という改革が必要かもしれない状況で、ほかに考え直さなければいけない課題がないわけない。

 婦人会アドバイザーの御三方に時間をもらい、現状の明行寺について、思うことを自由に出しあうワークのようなものを行なってみることにした。お寺に近しい方々だからこそ「わかっているいるけど、正直、言いにくい」と感じていることが、多々あるにきまっている。けれど、お互いに昨日今日の仲ではないのだ。どっちにしても、いつだってドーンと胸を借りてしまっていることに変わりはないし、子供よりも若いような住職と坊守になら、話してくれるかもしれない。
 そんな期待と共に、カードサイズの白い紙をたくさん準備した。思いつくままに、気になっていることを自由に書いもらうためだった。当日、記入のための時間をとってみたが、なかなか筆は進まない。試しに私や住職が書いたものについてどう思うか質問をしていくと、徐々にアドバイザー方の口から率直な意見が漏れ始め、次第にこれまでの心の内が堰を切ったように溢れだした。すかさず住職と私でカードに書き留め、一旦出きったかな、というところで内容をグルーピングした。そこから、グループごとに具体的な課題や対策を整理しなおし、「婦人会役員会議」用の議論のたたき台として準備した。

カードに書き出してグルーピング
たたき台


「婦人会役員会議」で課題を共有する

 3月上旬、婦人会長廃止の提案とその他課題について、実現したいことを整理し「婦人会役員会議」に臨んだ。4名の役員は、2年間の任期の1年目が終了したところで、任期を終えれば次の役員に交代することが決まっている。長年お寺の役員を務めてきたアドバイザー方と違い、耳の痛いようなご意見や、比較的ドラスティックな見解もはっきり言葉にしてくれる。婦人会長の廃止については「まあ試しにやってみよう」ということになった。

積年の夢の改修案件
お寺の「入りにくさ」を払拭する案
「会ったことはあるけど誰?」系
コミュニケーションロス防止案
「楽しみをつくる」案
「婦人会」て何?
男性しかいない状況の打破を目指して


 その他の課題について、内容の是非はともかく、できるだけ文字も大きく、そんなに読み込まなくても何となく通じる資料があると、それぞれの事柄に関して普段感じていることが言葉になって出てきやすい。

 余談だが、この会議で最も感じたことは、いわゆる「寺族」と呼ばれる人にとって、ご門徒方が不安や疑問に感じる種類のことを体感として経験するのはかなり難しい、ということだった。

  • お寺は何のためにあるのか分からない

  • 何が分からないか分からない

  • 「永代経」とか「降誕会」とかの専門用語も本当は分からない

  • 仕方ないから来ているけど何のためにお参りするか実はよく分からない

  • 作法だって分からないうえに尋ねづらい

 などなど。それは私がお寺ではないところから嫁いできて感じたのとほぼ同じ。違っているのは、私は誰憚ることなく夫に尋ねることができたことだ。まして、生まれたときからお寺に住んでいれば、気づいたときには身体化されているような種類のことじゃないんだろうか。お寺はいつでもお参りしていいよと言われたって、入りにくいんだもん。というのが、ピンとこないわけだ。と、妙に納得してしまった。


「婦人総会」で決議する

 2021年3月、コロナの影響で「婦人総会」は中止になった。内容はゆるやかな文書審議とし、全ご門徒に資料を配布して「ご意見があれば住職まで」と伝えつつ、住職が月忌のお参りに伺ったときなど、どう思うか質問したりしながら感触を探った。

配布資料

 このときは、細かい内容についてどうこう、というより、若者が現状に甘んじることなく時代に即した変化を促そうとする、その姿勢を好意的に捉えてくださるご門徒が多かった、という印象がある。応援するから頑張れ。トイレだけは何とかしてくれ。忙しいからお寺の世話どころじゃない。などなどのお言葉を賜りつつ、婦人会長の廃止についてはこれといった反対意見が出なかった。かくして、明行寺の仏教婦人会長は廃止され、4名の役員と、そのサポート役たるアドバイザー3名を加えた、実質7名の幹部を擁するフラットな組織となったのであった。



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