見出し画像

「仏教婦人会」を改名した話 ②

課題化編|「誰の何」かを再定義


 2021年度の婦人総会に向けた役員会議で、どうすればみんながより積極的に活動に参加してくれるか、という話題のなかで、ある役員さんが放ったひと言。

「だいたい、仏教婦人会って名前がばあさんの集まりみたいで気が乗らん」

 4名の役員と3名のアドバイザーに住職と私、一同爆笑。同時に、目から鱗の瞬間だった。そうなのだ。孫がいようが、70だろうが80だろうが、おばあちゃんと呼ばれていようが、関係ない。「ばあさん」なんて、いないのだ。まして、ばあさんの集まりなんて、もってのほか。みんなバリバリの現役農家で「ばあさん」じゃないのに「ばあさん」の集まりなんて、参加したくなるはずがない。

 人知れずそんな衝撃に震えていると、アドバイザーのKさんが続けた。

「今は『婦人』っち言葉は、あんまり使わんげな。何でかっつったら『婦人』は結婚しとる女の人のごたるやろ?今はいろんな人がおるし、結婚せん人もおる。農協でも、昔は婦人部ってあったけど、今は女性部って呼び名が変わっとる」


課題は課題にしなければ課題にならない


 1年前の役員会議の議事録を眺めつつ、1年間何をやって、どんな問題があって、今後どうするか、というようなことをお茶を飲みながらざっくばらんに話していた。お寺参りの敷居を下げるために始めた毎月のお取り寄せスイーツ茶話会「喫茶去・明行寺」が功を奏して婦人会の活動は活発になり、自然と話題も多い。依然コロナは蔓延していたが、法要を含めたあらゆる行事を、規模の縮小はあれど続けていたことも、会議が元気な理由のひとつだったろう。お寺参りでも何でも、単純接触効果ってあるよ。

お取り寄せスイーツを毎回配布
いつも何かのワークショップを同時開催


 先の発言、もう一度言わせてほしい。

「だいたい、仏教婦人会って名前がばあさんの集まりみたいで気が乗らん」

からの、

「今は『婦人』っち言葉は、あんまり使わんげな。何でかっつったら『婦人』は結婚しとる女の人のごたるやろ?今はいろんな人がおるし、結婚せん人もおる。農協でも、昔は婦人部ってあったけど、今は女性部って呼び名が変わっとる」

だ。

 今にして思えば、次のひと言がご門徒の口から出たのは、婦人会長の廃止という組織の改革を経験したからだったろう。

「名前を変えたらどげんですか?」

 必要があるなら、変えて良い。先人方が脈々と今日に受け継いでくださった、血と汗と涙のご縁。その有難いことを思えばこそ、今、何をどのように引き受けて、そしてまた、どう受け継いでいくのか。それは自分たちの手にこそかかっている。という気概は、私が勝手に妄想世界で感じ取ったものかもしれない。が、組織とその意義に対して主体的でなければ、出てこない発言であることは間違いないだろう。

「ああ、良かね。名前、変えたら良かやんね」

 結婚をしない人もいる。男性、女性のどちらでもない人もいる。身体は男性だが心は女性という方が除夜の鐘撞きにお参りされたこともある。「婦人会」には歴史があるが、時代に照らせば「婦人会」が別のかたちへと変わっていくのは時間の問題だ。そんなことを話しながら、具体的にどんな名前が良いか等々、いくつかの事項についてアンケートを行うことを次年度の取り組みとして、婦人会員に議事録を配布した。

2021年度の婦人会役員会議の議事録

ところで「仏教婦人会」とは?


 70〜80代の女性たちに訊ねると、戦時、出兵によって現役世代の男性が社会から激減し、各家庭の仏事やお寺の活動を含めた様々な役割を女性たちが担うべしとする政策的な必要によって組織されたのが「仏教婦人会」らしい、と答えた方が多かった。

 龍谷大学文学部教授であり、日本仏教史の専門家である中西直樹氏による『近代真宗「女性教化」の諸相(同タイトルの企画展示図録、2022年)』によれば、真宗婦人会は1880年代後半から最初の高揚期を迎えている。欧米化全盛の時代にあって、キリスト教の教線拡大に対抗する目的で、仏教諸宗派は地域的な結束のあり方を模索しており、この動きを各地の起業勃興に湧く保守派が支援、仏教青年会、仏教少年教会、仏教婦人会といった教化団体が各地に次々と結成されたそうだ。それまでも、女性信者を中心とした講社は存在したそうだが、キリスト教の影響を受けた結果、雑誌の創刊や女学校・講習会の開設など女性の啓蒙活動に従事するようになった点が、仏教婦人会の特徴、とのことである。

図録の表紙

 そこからおよそ1世紀の間に、日清、日露戦争、二度にわたる世界大戦や、婦人参政権の獲得を目指す公民権運動、これに対し真宗教団の組織票を必要とした貴族院、そして伝統的儒教的価値観を基盤とする家父長制社会において女性教育を必要とする論調が高まったとき、その目的がいわゆる「良妻賢母」に設定されたことなど、念仏相続とは関係のないあれこれによって仏教婦人会は今に至っている。良い悪いではない。ただ、そういうご縁だったのであり、情あるこの身が娑婆を生きるとは、概ねそういうあれこれに翻弄され続けるということのような気もする。


「組織」の役割


 得意の辞書を訊ねてみる。

一定の共通目標を達成するために、成員間の役割や機能が分化・統合されている集団。また、それを組み立てること。

デジタル大辞泉

 では、お寺の、教団の「共通目標」とは何か。浄土真宗本願寺派の『宗制』を開いてみる。

本宗門の宗祖親鸞聖人は、『顕浄土真実教行証文類』を著し、龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空の七高僧の釈義を承け、『仏説無量寿経』の本義を開顕して、本願名号の真実の教えを明らかにされた。これが浄土真宗の立教開宗である。 本宗門は、その教えによって、本願名号を聞信し念仏する人々の同朋教団であり、あらゆる人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝え、もって自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献するものである。

浄土真宗本願寺派宗制 前文

 古代ローマの時代にはすでに「歴史は繰り返す」と言われていたらしい。無始無終、生まれ変わり死に変わりする私たちの世界の記録に、おあつらえだ。一方「社会は変化する」という表現に、異を唱える人はいないだろう。「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と口ずさみながら集う御同朋を組織として定義していくとき、その名は世に連れて淡くなり、やがて変化したり、時には消えたり、また新たに生まれたりしながら「お念仏をよろこぶ」という一点のみを同じくしていく。逆に言えば、個々の「私」がこの一点を大切によろこんで、お念仏申すところにのみ、御同朋というつながりがひらけていくのではないだろうか。



この記事が参加している募集

多様性を考える

精進します……! 合掌。礼拝。ライフ・ゴーズ・オン。