NICO Touches the Wallsの活動終了によせて

 2019年11月15日の正午に活動終了を発表したNICO Touches the Walls。彼らと私の出会いは、遡ること2006年4月。東京・渋谷AXで開催されたイベント「JAPAN CIRCUIT」を観に行ったら、オープニングアクトに登場したバンドだった。“NICO”という単語から始まるバンド名の印象と、オープニングアクトに出てくるバンドはだいたい若手という解釈から、きっと「元気いっぱい!」が売りのポップなロックバンドだろう、という心構えでライヴが始まるのを待っていたら、若手とは思えぬ渋い曲を連発するからびっくり。「おっ!なんかいいじゃん!」という好印象だったけど、その時はこれでおしまい。その後CDを買ったり、バンドのHPを探したりはしなかった。でも、NICO Touches the Wallsというバンド名だけは覚えていた。

 それから数年後、たまたま観ていたテレビ番組「情熱大陸」が音楽プロデューサー亀田誠治さんの放送回。そこで、NICO Touches the Wallsのレコーディング風景が流れていたことをきっかけに私は2ndアルバム『オーロラ』(2009年11月)を買った。ケースを開くと、日本武道館公演開催のチラシが入っていたのには驚いてしまったし、かつて渋谷AXで観たときのバンドの印象と変わった気もしたが、力強い「芽」の歌詞と、歌メロの美しさが際立つ「かけら-総ての想いたちへ-」、「トマト」の描写する切ない世界観がたまらなく好きだった。

 そんな『オーロラ』も一時期は良く聴いていたが、結局買っただけでおしまい。私がNICO Touches the Wallsを本格的に聴き込みだしたのは、2012年11月25日に横浜BLITZで開催された「イイニコの日ライブ」以降。このライヴを観終えた私が速攻したことは、彼らの直近のライヴ予定とディスコグラフィーの検索。そして、過去作を買い揃え、最近作であるシングル「夢1号」を(2012年12月)買ったことで今に至る。

 何を歌わせても「自分の歌」にしてしまう、歌の上手さは怪物級の光村龍哉(Vo&Gt)。常に前傾姿勢でギターを掻き鳴らし、真摯にファンと向き合う古村大介(Gt)。細長い指で骨太い低音を響かせ、優しい笑顔でバンドを支える坂倉心悟(Ba)。フロント3人の背中を見守り、どっしり構えながらも歌うようにドラムを叩く対馬祥太郎(Dr)。

 それぞれが持つ演奏の技術の高さも、バンドとしてのアレンジセンスの良さも、NICO Touches the Wallsにしかできないオンリーワンのものだった。

 本来ならば実際にNICO Touches the Wallsのライヴに行って頂き、最新のパフォーマンスを通して、彼らの功績を知ってもらうべきなのかもしれない。しかし残念ながらそれは不可能となってしまった。でもこの事実を嘆くのではなく、彼らが作り上げて来た音楽を聴くことや過去のライヴ映像を通してなら、それを体感することができる。そこで、彼らの活動後期(なんて本当は書きたくないですが)に発表してきた楽曲を通して、私なりの解釈を綴ってみたい。なぜなら、NICO Touches the Wallsはロックバンドの可能性を広げ続け、大袈裟でもなく挑戦者であり開拓者的存在でもあったからだ。

 まずは2016年11月にリリースしたシングル曲「マシ・マシ」。個人的にはこの曲がNICO Touches the Wallsのターニングポイントのひとつになったのでは?と思っている。

 「マシ・マシ」というタイトル名を決めた背景にはマーヴィン・ゲイの「Mercy Mercy Me」とザ・ローリング・ストーンズの「Mercy Mercy」の存在があり、「明日が今日より少しでもマシになりますように」という願いが込められている。(これは発売当時のメディアインタビューで光村が話していたこと。ちなみに「Mercy」を日本語に訳すると「慈悲」という仏語「人をあわれみ、楽を与え、苦しみを取り除くこと」を意味する)。《あとはきみしだいです/あとはきみしだい》と歌うあっけらかんとしたソウルフルなヴォーカルと分厚いコーラス、何よりQUEENの「We Will Rock You」を彷彿させるハンドクラップが印象的なバンドサウンドからは洋楽へのリスペクトを強く感じられる。

 当時の流行りに逆らうようBPMは遅めだが、サビを口ずさみながら思わず手を叩いてみたり、身体を揺らしてみたり…そんなグルーヴの良さがある。しかも「マシ・マシ」は、テレビアニメ『ハイキュー!!』のエンディングテーマに起用された。つまり必然的に多くの視聴者の耳にこの曲が入ることが、NICO Touches the Wallsにとってひとつの賭けでもあったのだろう。

 「邦楽は洋楽よりも劣っている」なんて話を聞くことはたびたびあるが、2,000年代以降、かっこいい日本の音楽は間違いなく増えてはいる。が、NICO Touches the Wallsは互いの要素をミックスさせた音源を作り出すことで、音楽根本にあるそもそもの楽しさや喜びを伝えようとした。

 NICO Touches the Wallsは自らの音楽の中で洋邦の壁を壊したわけだが、それは「ジャンル」という壁をも壊すことでもあった。振り返ってみると、新曲がリリースされるごとに「ニコはポップなのか?ロックなのか?」とファンの間では論議され、そのたびに一部ファンがバンドから離れてしまう現象も起きた。しかし、彼らは雑食な音楽性を貫き、キャリアを重ねていくごとに、それが自らの等身大の姿であることを証明していく。

 そして、完成させたのが『OYSTER -EP-』(2017年12月)と『TWISTER -EP-』(2018年7月)だ。

 『OYSTER -EP-』のリード曲は「Funny Side Up!」。陽気なピアノリフとエンジン音のようなエレキギターのイントロが印象的なファンキーはバンドサウンド。ライヴになるとギターを置き、ハンドマイクで歌い上げていた光村だが、まるでそれは貫禄を携えたソウルシンガーさながらの歌声だった。その他にも「mujina」はいなたいサーフ・ロック、恋の終わりを歌う「bud end」は大人っぽいAOR、ラスト「Ginger lily」はギターサウンドにシューゲイザーを取り入れた、NICO Touches the Wallsの新しい王道とも言える曲。 このEPを初めて聴き終えた私は、音楽への探求心と好奇心の塊であるNICO Touches the Wallsそのものがようやく手にできる形になった事実が感慨深く、期待で胸が膨らんだ。

 ☆

 翌年にリリースされた『TWISTER -EP-』は『OYSTER -EP-』の陽のたたずまいから一転、バンドのハードな部分が炸裂している。

 デジタルとロックを掛け合わせたゴリゴリのバンドサウンド、昨今のR&Bの要素も入れたというリード曲「VIBRIO VULNIFICUS」は、曲の冒頭に高音シャウトが入り、これまでのNICO Touches the Walls像をぶち壊す規格外な1曲。そして最新のロックサウンドと色気漂うブルースの融合「SHOW」ではリアルな内省を包み隠さず曝け出し、インディーロックを彷彿させる「FRITTER」では世間を皮肉り、恋した女性が嫁に行ってしまった嘆きを「来世で逢いましょう」と陽気なグループサウンズに乗せた。

 『TWISTER -EP-』には、まるで孤独や葛藤を歌ってきた活動初期のNICO Touches the Wallsが回帰したような感触があった。実際に、音楽雑誌「音楽と人」のインタビューで「「VIBRIO VULNIFICUS」は「インディーズ時代にリリースしたミニアルバム『Walls is Beginning』(2006年2月)にある「そのTAXI,160Km/h」だと思う」という旨を光村は話している。EPを手にしたファンには「あぁ、原点回帰したのか…」と、感慨深い気持ちになった人も多いはずだし、私は、NICO Touches the Wallsから離れてしまったファンにも是非手に取ってもらいたいと心から思った。

 話が脱線してしまうけど、NICO Touches the Wallsは、過去にCD特典として既存曲をアコースティックアレンジで披露したライヴDVDをつけていたが、2015年2月には『Howdy!! ACO Touches the Walls』というアコースティックアルバムをリリースし、ビルボードライブでアコースティックライヴを行っている。なぜ、突然こんな話をしだしたかというと、先述した演奏技術やアレンジセンスが飛躍していった背景にアコースティックは切り離せないからだ。

 アコースティックライヴを行うときはACO Touches the Wallsと名乗り、ライヴ中に登場することもあれば、いくつかのアコースティック主体のフェスに出演もしてきた。この『OYSTER -EP-』と『TWISTER -EP-』には通常盤以外に同曲のアコースティック盤が付いており、原曲とは別バージョンのアレンジで収録されている。ACO Touches the Wallsについて書いてしまうと長くなってしまうので割愛するが、アコースティックがあることで、NICO Touches the Wallsのバンド活動がさらに豊かなものとなり、メンバーのポテンシャルが開花したことは事実である。

(ちなみに2枚のEPには古村・坂倉・対馬3人のユニットその名も「カレキーズ」の曲がそれぞれに収録されており、役割は息抜き的曲ではあるが、3人のコーラスワークはなかなかの聴きどころでもある。カレキーズの3人が楽しそうなのも伝わってくるのがいいし、メンバーがメイン楽器以外のことをやることでEP全体の風通しが良くなっている)。

 さて、ここまで読んでみたら「まとまりのないEPだ」という印象を持たれるかもしれない。しかし『OYSTER -EP-』『TWISTER -EP-』とも聴き終えた後の快感度はかなり高く、取っ散らかった印象は皆無である。演奏しているメンバーは同一人物だし、ヴォーカルもひとりしかいないのだから…という最もな理由はあるけど、でも一番はメロディの良さと強さが、日本人リスナーの耳に聴きやすさと親しみやすさを生んでいるからだ。この点に関しては(「マシ・マシ」にも通じる話になるが)作詞・作曲している光村がスピッツを好きであることが大きく関係していると思う。つまり日本のロックやポップスを聴きこんできた彼だからこそ成せる業でもあるのだ。

 そして、今年(2019年)の6月にリリースされ、結果的にNICO Touches the Wallsが世に放つ最後のオリジナルアルバムとなってしまった『QUIZMASTER』。こちらも通常盤とアコースティック盤の2枚組。

 収録されているのは全曲新曲でジャンルも世界観も見事にバラバラだ。洋邦問わず昨今の音楽シーンを熟知、研究していないと不可能なジャンルのボーダーラインを悉く崩したアレンジ、リアルなライヴ感を味わえるほどブラッシュアップさせてしまった演奏。そして、私の耳に噛みついてきたのは、弱さも強さも全てを曝け出している光村のヴォーカルだった。このアルバムを身を粉にして、命を懸けて作り上げた作品なのだということが伝わってきたのが「2nd SOUL?」を聴いたときだ。曲は《誰も彼もが唄を/こころの奥に秘めている/屁理屈四の五の言う前に/底なしに描け 理想》というフレーズで締め括られるのだが、ひしひしと感じる「自分の天命を全うする」という強い意志に、音楽家として生きる彼自身の真髄が見えた。と同時に、結局、NICO Touches the Wallsらしさの鍵を握りしめているのが光村の歌なのだろうという着地点に辿りついたのだ。

 振り返ってみればNICO Touches the Wallsを追いかけ始めてからの私は彼らには振り回されっぱなしだった。雑食な音楽性であるがゆえに、安心感よりも心配が上回ってしまい「リスナーでいることになぜこんなに疲れてしまうものなのか」と疑問を持ったことはあるし、私が音楽に求めるものと彼らが差し出してくれるものにズレを感じ、ライヴに行くことをやめた時期もあった。それでも、なぜか嫌いにはなれなくて、彼らのライヴに行ってしまえば胸に抱えていたモヤモヤはきれいさっぱり清算された。こんな不良学生のようなリスナーの私でも、いつも彼らのライヴを純粋に楽しめたのは「好きな曲が聴けた!」とか「あのアレンジにびっくりした!」という理由以前に、「NICO Touches the Wallsは音楽に全て込めて、音楽で全てを伝えるバンド」だったから。なんだかんだ、私は彼らに強い信頼を寄せていたのだ。

 そして、このバンドの精神を過去にリリースしてきたどの作品より感じられるのが、正しく『QUIZMASTER』だ。NICO Touches the Wallsの結成15年の積み重ねが、見事に美しい結晶となった。私は発売日前日にアルバムを手に入れ、まずは通常盤を聴いたのだが、聴き終えてもしばらく感動がおさまらず、アコースティック盤にはなかなか手が伸ばせなかった。

 私は『QUIZMASTER』をNICO Touches the Wallsの第2章の始まりだと確信していた。アルバム制作と並行させて開催したTOUR “MACHIGAISAGASHI’19”は3月25日、東京・六本木EX THEATER ROPPONGIであった初日しか観に行くことができず『QUIZMASTER』からは数曲しか聴けなかったが、いずれライヴで聴く機会はあるのだろうと楽しみにしていた。

 私が2006年に「JAPAN CIRCUIT」を観に行ったのは、「GRAPEVINEが出るから」という理由だった。このライヴをきっかけに田中和将(Vo&Gt)と光村の仲が深まっていったことも、対バンをしていたことも知っていたが、NICO Touches the Wallsのライヴを観る機会には恵まれなかった。

 そして2組が何度目かの対バンすることとなった2012年開催の「イイニコの日ライブ」。当然、初めて聴く曲ばかりではあったが、CDで聴いていた「かけら-総ての想いたちへ-」の登場には感激し、先攻を務めたバインが「YOROI」の間奏で田中と高野勲(Key)が門扉を叩くという奇天烈セッションを繰り広げたと思っていたら、NICO Touches the Wallsも「ラッパと娘」で、突如パーカッションのセッションをやりだしたことには、びっくりした…というより「なんだ?このシンクロ!?!?」と客席でひとり大笑い。でも、私が彼らに強いシンパシーを感じたのはこの時だった。

 「イイニコの日ライブ」を境にNICO Touches the Wallsを追いかけるようになった私は、しばらくして数日間を病室のベッドの上で過ごした。真っ暗闇に突き落とされ不安でいっぱいだった私を励まし、支えてくれた曲のひとつに「Mr.ECHO」(2013年3月)がある。彼らの活動終了を知り、突然過ぎてあらゆる感情に飲まれながらも、気持ちを整理し前に進むべきと思い「今、できることを」と、このnoteの下書きを始めた。すると、ふと、あの頃が蘇った。そして、恐る恐る「Mr.ECHO」を聴くと、「あぁそっか、これは確かに私の生きる力だったのだな」と涙が滲み、目の前のこの事実に耐えられなくなってしまった。

 でも7年前の、あの日の再会があったから「今」があると思えば、どんな出会いも偶然も、確かな意味があるのだと実感する。いつかNICO Touches the Wallsのメンバーそれぞれに新しい舞台に立つ日が訪れ、その時の私は一体どんな気持ちになるのか想像はできないし、受け止められないかもしれない。けれど、意味のあることだったのだと思えるようにはなりたい。だからどうか4人には「音楽」で信じさせて欲しいし、再び4人が揃ってステージに上がってくれる日が来ることも、今はまだ信じている。

「音楽は思い出にはならない、聴いた瞬間からいつだって私たちの現在進行形になる」そう私に教えてくれたのは、ロックに恋した10代の私にとって神的存在だったTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTだ。

 ミッシェルこそ、伝説のロックバンドとして語られる存在になってしまったし、私自身、ミッシェルの解散以降、様々な理由から音源を聴けなくなり、長い時間、全てを自分の中に封印した。でも、今仕事で切羽詰まってしまい「あぁ、もう限界だ!無理!」ってデスクに突っ伏し泣きそうになる私をいつも救ってくれるのは、あの「世界の終わり」だったりする。頻繁に聴くことはなくても、ミッシェルじゃないとダメな部分はあって、それは、ただ私があの頃から変わっていないだけなのかもしれないけれど、ずっと大切にしていたい私の一部である。

 NICO Touches the Wallsの活動終了発表後、彼らの音楽が残る事実はあまりに残酷だと思っていた。でも、それは違う。音楽はいつも聴いた人の側にあって、寄り添いながら勇気づけ、励ましてくれるものだ。


追伸:だからこれからもよろしくね、NICO Touches the Walls。

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