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【7月の日記】18年ぶりのオンステージ「私、本当はずっと歌いたかった」。

「私は高校生の頃からバンドが好きで、そのまま大人になってしまいました。自分自身でも学生時代から20代前半まで音楽をやっていたんですけど、仕事が忙しく色々と限界を感じ、やめてしまいました。
でもコロナがあって、これまでの価値観や人生観が変わり「もう一度歌ってみよう」と思い、去年の8月からヴォーカルレッスンに通い始めました。
人前で歌うのは18年ぶりになるので、あたたかい目で観ていだければと。
東京事変の「原罪と福音」という曲を歌います。
2021年のコロナ禍にリリースされ、メロディが良く、強いメッセージがある曲なので、少しでもそれが伝わればいいなと思います。」


7月上旬、私が通っているヴォーカルスクールの発表会があった。会場は、都内にあるとても素敵なジャズクラブで、音楽を聴きながら、食事やお酒も楽しめるような場所だ。

私が、人前で歌うのは実に18年振りである。

ライブはピアノの伴奏に合わせて歌うスタイルで、そのピアノの伴奏を弾く方というのが実際にミュージカルを始め様々な舞台の現場で活躍されているプロの方。私は過去、アマチュアバンドの一員として歌うことがほとんどだった。小さなライブハウス、大学にある野外ステージやホールのステージがメイン。だから、ジャズクラブで歌えるなんて、こんなに嬉しいことはない。
もちろん、プロの方と一緒のステージに立つことへのプレッシャーもあったけれど、ヴォーカルスクールに通い始めて1年が経とうとするタイミングで、自分の歌を発表することは、大きな転機になりそうな確信があったので、出演を断る理由はなかった。

歌う曲を決めたのは4月の終わり。そこから約2カ月かけて自分の歌だけに集中してきた。ライブにも1回しか観に行ってない。でもそれを苦痛にすら思わない。発表会に出ることを決めてから、パチっともう何年も押してなかったスイッチが「ON」になった。

発表会には、私が歌をうたいたくなってから本番を迎えるまで、ずっと私のことを見守り、応援してくれている仲間のうちの数人を誘ったら、聴きに来てくれた。

私の出番は後半だから、発表会がスタートしてしばらくの間は、みんなで他の出演者の方の歌を聴きながら、楽しい時間を過ごしていた。ところが、ふと、刻々と自分の出番が近づいているに気づいてしまうともうダメ。何を聴いても耳に入ってこないほどの緊張状態がしばし続く。さすがに「これはマズイのでは…」と思い、休憩時間に外の空気を吸いに会場を出てみたけれど、外は外で暑いし、緊張はおさまることなく、結局そのままステージにあがることになった。

歌う前に「自分の名前」と「何か一言」を話すことになっていた。他の生徒さんたちは、その「何か一言」がとにかくウマい!私の出番のぐらい(発表会の終盤)にもなれば、すでに客席には不思議と一体感が生まれていたほどで「このいい空気を壊すわけにはいかない!」と思った。
とは言え、私にはおもしろい小話などする余裕などなく、冒頭に書いた"歌を再開したきっかけ"を大まじめに語ってしまったので(こういうときに性格が出る)、客席からの真摯な視線から逃げられなくなる始末。

「穴があったら入りたい」とはこういうことか。でも、だからこそ、ここで、「あぁもうどうなってもいいや!」と開き直った。

前奏のピアノが聴こえてくると、自然と気持ちが落ちついていく。

ところが、歌い始めると、ちょっとしたトラブル(?)が発生。目の前にあるアンプから自分の歌声がよく聴こえない。ぼやけたようにしか聴こえないのだ。「マイクの位置がずれているのかな?」と思い、気持ち口元に近づけてみたけど、状況は変わらず…。ステージの上は狭く、グランドピアノの真横で生音を全身で浴びるようにしながら歌っていたため、きっとピアノの音の迫力に圧倒されていたのだろう。

自分の声が聴き取り辛く、音程が合っているがどうかわからないまま最後まで歌わなければならない状況に、ただただ焦った。でも、会場の雰囲気は、演奏を途中でストップしてもらえるような感じではない。なので、再び私は開き直る。

「音が外れてもいいから、聴いて下さっている方たちの心に届くよう一生懸命うたおう!」

いつも以上に感情をたっぷり込めて、声を張り上げるようにして歌った。すると、ただもう「とにかく歌っていて気持ちがいい」まま、最後まで歌い切ることができた。それは、自分が自分でないような感覚、ものすごい解放感だ。

席に戻ると、この一部始終を観ていた友人のひとりが「〇〇(私の本名)の歌に合わせて、ピアニストの方も演奏もどんどん熱くなっていたよ!」と教えてくれた。その事実に私は驚いた。だって、レッスンでは、その方の弾いた伴奏の音源に合わせて練習していただけ。初めて顔を合わせたのが発表会当日、リハーサルなしのぶっつけ本番だったのである…。
自分の歌声がよく聴き取れず、不安な中でも曲の世界に没入できたのは、歌い手の状態や技量を見抜きながら演奏してくださったからだろう。もちろん、他の生徒さんのステージでも、歌い手のペースに合わせ、支えるような演奏をされていたので、「これがプロなのか~!!!」と感激&痺れてしまった。

私が歌を辞めた理由は、当時していた仕事が忙しくなってしまったからだ。そして、歌っていても、ちっとも実が結ばれない現実に自分の限界を感じたから。ただ、10年近くやれるだけのことはやってきたので、辞めることへの後悔はなく、「これは前向きな決断なのだ」と当時は思い込んでいた。でも、今回18年振りにステージに立ったことで、はっきりした。

私、本当はずっと歌いたかった。

2021年の12月。私の好きな服部みれいさんがご夫婦で運営している有料配信のラジオ番組に「諦めてしまった音楽をどういう形でもいいからやりたい」とメールを送ったとき、みれいさんが番組内でそのメールを読み上げ、私に、こうアドバイスをしてくれた。「まずやってみる。そして発表する」「発表するとわかるのよ、自分のことが」
あのメールを送ってから2年半が経ち、ようやくその言葉とがストンと腑に落ちた。

借り越した噂は突っ返せ愈々身一つ真相を説いて明々朗々と
大丈夫勝敗も相子も何方でも呷って再び蘇れ 己次第の命だと

東京事変「原罪と福音」より


そもそも私が歌を始めた背景にあるもののひとつに、「進学した高校が自分と合わず、心を開いて話せるような友人がなかなかできなかったこと」がある。高校生活で楽しかった思い出は皆無に等しく、孤独な時間を過ごしていたが、歌という居場所ができたことに支えられ、なんとか卒業までたどり着くことができた。あの頃、歌っているときだけは自分らしくいられた。そして自分に自信を持つことができた。

20代に入ると、プロになることにこだわりすぎてしまい、まわりの音楽仲間と自分を比べ、たくさん苦しできた。才能もセンスもない私が歌っていても…と自虐的になっていった。

でも、今はもう苦しむ必要はない。歌を辞める理由もない。歌い始めたばかりの頃の感覚を、私は取り戻すことができたのだと思う。




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