見出し画像

東京から離れることになりました。







東京を離れることになりました。


そんなに大事でもないのですが。笑
生まれたときから慣れしたんできた街から千葉の奥地に引っ越す事にしました。
タイミングが合ったっていうのと、前から自然のあるところで住んでみたいと言っていたのが大きいです。
時間の流れに任せていた中で本当に今この時だな、と思えたのでそうすることにしました。
実際に今より絶対的に"不便"と呼ばれる生活に自分がどれだけ順応するのか正直実験的なところもあって、ダメだったらまた住む場所を変えればいいなんてくらい結構楽観的です。でも心のどこかでは確信していて、最終的には住む場所も働く場所もどこでもいい、『自分の好きな時に好きなところへ行く』な人間になろうと思ってます。
年々物欲もなくなって、人混みや大きな音もどんどん苦手になっていて、あんなに好きだったカフェ巡りもしなくなったりとか、刺激から離れたいと思っているのは明らかでした。
そういった自分の苦手なものたちの克服に挑戦してみてもやっぱり途中で気分が悪くなったり、カフェに行って物を描くのが好きだったのになんだか気が立ってしまって集中できなかったり、一人で落ち着けるのが自分の部屋だけになって今はご時世的なのもあるけど、どんどん外に出なくなっていきました。
『環境変えたって自分が変わらなきゃ意味がない』ではなくて『自分を変えてみたいから環境も変えてみる』くらいラフに考えてもいいんじゃないかって。
正直変えるというよりは、"過ごしやすい場所探し"のニュアンスが大きいんですけどね。
何度も自分と対話する中でどんどん大きくなる、"空が広い場所に住む"ということ。思ったらすぐ行動!のスピードが相変わらず亀だけどこれもご縁だなと思えたり。
創られた工程や、造り手の目的思想、純粋に物事が見れなくなって、周りが喜んでいる事柄、"普通だったら喜ぶところ"で満足できない、というより興味がない自分が唯一今も熱を注げる場所はやっぱり"創ること"にあって、じゃあその"創る"になんで集中できなくなってるんだろうって考えたときに自分の周りの"本当に必要な物"以外は身の回りに置かないようにしようとシンプルにこう思いました。
そして"創ること"だけに熱を注げられる環境を自分で整えればいいんだと思いました。
自然は誰にでも平等で、なぜか親しみのないはずの田舎の風景は昔からとても好きで心の落ち着く場所だ。
友達にパッと会えなくなるのは寂しいけど全然会えなくなる距離じゃないし、よく考えたら会いたい時に会えている今とあまり変わらないなと思った。
わざわざ自分から"不便"に飛び込むことで、本当に奥底の芯のものが見えると思う。
いつ使うかわからないけど可愛いから取っておこうみたいな、物が増えていく典型的思考と同じように、なんとなく『この辺に住んでいれば色々と困らないだろう』みたいなのはもういらないなって。
きっと"便利"に疲れたのかなと思いました。
頭を使わせないような、特に同調圧力だったり、お金に価値の重さを置く世界観から遠ざかりたい。今の時代、選択肢が多いことが自由なようで不自由を生み出しているような感じがする。その人にとっての幸福とはなんぞやってことなんだよね。
何かを得るには何かを捨てなければならないといわれるのはきっと人の器はこの世に生まれたときから決まっているのだと思った。そこに何を入れるかで密や質が変わり、重みが加わるのだと思う。何を入れよう。新しい挑戦。

楽しみに準備をしております。創るぞー!



ここから先は

233字
裸足が好きです

白よりの藍

¥500 / 月

日記のような、詩のような、形のない言葉たちを自由に描いてます

世界でたった一人の自分で在り続けること 頂いたサポートは創作活動への励みにさせて頂きます。見て下さりありがとうございます。