だから今日も少し勇気を出してみる
あまりにも小さい私の声
『え??』の返される声に
驚いてしまう、そして怒ってるのかな?
恐怖を覚えるときがある
自分の耳と他の人の耳では
聞き取っている音量や質が違う
声も同じこと
大きな声で話している人が苦手なので
大きな声で話すこともとてもストレス
言葉に付いている感情も同時に吸い込んでしまうので疲れてしまう
音で溢れている空間
イヤホンがないとできれば電車に乗りたくない
というのが本音
伝えることから逃げたかったんじゃない
どうすれば理解してもらえるか考えていただけ
この感情を形にする声を失ったようだ
言葉が見つからなくなる
『早くしろよ』なんて言葉を感じ取ってしまった瞬間にはもう機能しなくなったも同然というほどに
言葉が死んでしまう
守ってくれている、あなたを守りつつ自分も守れるような中途半端で突手付かずの言葉を探して、曖昧に濁して、でもそうしたくなくて
これじゃないこれじゃないと巡って
辿り着いた言葉が聴こえるように声を振り絞る
脳を言葉でぐちゃぐちゃにしてしまう
処理しきれない言葉が落ちて心臓に積もる
そんなのを繰り返してるから
会話って疲れるよなー
特に喧嘩って疲れるよなー
ぶっ刺してしまえば
悲しむあなたを見てしまう
そして私も悲しくなる
黙ってしまえば
悲しいあなたを見なくて済む
そして私は悲しくなる
そうならば、後者を取っていたい
でもそれは偽善的なこともわかっている
私を知りたいと思ってくれている人にとっては"考える"ことをさせてしまうからだ
やっぱり知りたいって思ってくれることはとてもありがたいこと
どう受け取るかは相手次第で、伝えればこうなるというのは伝えてみないとわからない
そうなんだよ、そうなんだけどね
意見の交換はどうしても言葉が鋭くなる
伝えたい言葉が目の前で落ちていく
そして何度も繰り返される
本当に伝えるの?大丈夫?
これが面倒で、痛いんだよなー
だからこそ、怒ってくれる人は大切だよね
心を痛めながらも、こんな面倒なことしてくれるんだから
すごい甘えかもしれないけど
お互いがお互いを尊重しながらしっかり言葉を選んで、伝えられることができたら、どんなに些細なことでもそうすることができたら、深まるのかなと思います
大きな刺激が苦手な私たちにとっては特にそうだと思う
それって相手を思い合うことでできること、そうでないとできないことだと思うから
友達でも、恋人でも、家族でも
どんな環境でもそれができる人とならずっと長く一緒にいられるのかなって思います
大切な人だから、感情的になっていい
そうでなくても、今後自分が大切にしたいと思える、思えた人には感情的になってみる
とっても勇気のいることだけど
そんなことするくらいなら我慢して穏やかに過ごしていたいかもしれないけど
心に引っかかったものはいつまでも残っているし、自然と消えることはないと思っている
だから今日も少し勇気を出してみる
Coco.
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