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正直今まで誰かのために尽くしている人生だった




引っ越してから一ヶ月が経った。
ここ数年一人暮らしをして、東京にあった実家が引っ越しになったタイミングで私もずっと寄り付かなかった実家に戻った。
10代の頃、それこそまだ音楽の道でも駆け出しで遅めの反抗期を迎えてた私が今この状況を見たらびっくりするだろうな。あとは安心してくれると思う。よかったって。
素直になれない自分がいて、表現も口下手だった私はずっとノートと友達だった。書くことで生きていた。そのノートの中にもそう書いてあった。ちょっと時間はかかったけど上手くやれるようになりました。安心してね、私。
そして今の環境だけど、もう何年もいるんじゃないかと思うくらいに馴染んでいる、落ち着いている。 
やっぱり私は直感人間なことを再確認した。
正体不明の"違和感"はやっぱり、本物だった。
何かを生み出すことで、在るということを感じられる。
静かな自然に囲まれていること、電波や人の少ないところ、あとは自分が生きていくために大切なものがあれば何もいらない。とてもシンプルだった。
何の確信もないまま言葉にしてしまうことに引け目を感じる私は、自分の頭の中で何度も言葉を繰り返してやっと返事ができる。言えば言うほど自分への戒めになって事が捗るみたいなタイプではない私にとって直感は唯一の味方だ。一番説得力を持ってくれている。
『ここから、何がしたい?』そう自分に改めて問いかけてみると返ってくるのはいつも同じ。
誰かのことではなくて、本当の意味で自分のために動きたいと思っている。
正直今まで誰かのために尽くしている人生だった。迷惑かけないように、我慢しなくちゃとか、笑わなきゃとか。上手くならなきゃとか、失敗しちゃいけないとか。あげたらキリがない。もちろんそれは見方によってはいいことかもしれないけど、限度がある。
自分よりも相手のことを考えて思いやれる人の中でも、完璧な人はいないということだ。
雑に言えば、もっと自分勝手になろうというか、それでいいというか。
極端かもしれないけどその人を『理解している』なんて言っちゃいけないなって思う。その中には相手から見た私像が少なからず入っているからだ。
自分に尽くす、というのは私にとって抵抗感があるけどちょっと言い方を変えて、"自分に集中する"にしてみたら少し心が軽くなった。
創作欲が沸々と煮込まれている。
"自分がどうしたいか"って聞かれた時に未だにちょっと竦んでしまう。それは怖いのではなく、自信がないのでもなく、ただ言葉に敏感になっているから。簡単なはずなのに難しく考えすぎてしまうのを少しずつ捨てていこうと思う。
自分のやりたいように、好きなように、想う方に、誰かのためでなく自分のために、頑張ってみようと思います。ちょっと人とずれていたとしても、そうして少しずつ歩いていって見えてくる世界にまた、苦しんで、泣いて、笑っていこうと思います。



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裸足が好きです

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