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欲しいものは何もない。ただ今、私に見えているもの。それを今日も、ずっと追い続けている。




できるできない

やるやらない

結果が全て



よく聞くこれを、ぐにゃっと混ぜてこねて大きく大きく伸ばして、巨大な作品を創っている。この作品はひとつではない。
この生地が沢山の作品の元となっている。
もちろんこれだけじゃなくて、言われた言葉を、聞こえてくる音を、感覚をそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の感じてきた思いを手の力に込めて、混ぜてこねる。
言葉も、絵の具も、頭の中もそうやって出来ている。
思い返せばずっとそうしてきたんだなって。
昔から聞いていたfra-foaというバンドが好きだった。
そのバンドは今は解散してそのボーカルさんは今はソロで歌っているんだけどその人が面白いことを言っていた。


『fra-foaはずっと聞けなかった』


なんだかすごくしっくりきてしまって。
その時作る曲は"その時の自分しか作れないもの"で"その時の自分が歌う曲である"みたいな感じがして。
今の世界観と、fra-foaの世界観は本当に違うもの。
自分がその時に見ていたもの感じていたものと、時間が経って変わっていった自分が全く同じものを見てもやっぱり感じるものは変わるわけで。それは良くも悪くも。
私の場合もそれは大きく当てはまるなと。
曲を作ることで今の自分の足跡を残している。
今の自分しか描けない、創れないものがある。
それって当たり前のようでそうではない。
創ってきたもの全てが嫌になって、消したことが何度もあった。
でもそれで消えて、目に見えなくなったとしても、残り続けている。
それは自分がこの世に生まれた意味を探すのと同じくらい、無意味なことかもしれない。
でもどうしたって、その無意味なことをし続けたい自分がいる。おかしなことを言うようだけど、自分の感情をそうやって確かめている。自分の足跡を見つめている。
だから今も私は音楽に救われていて、今も唄っているのだと思う。






手が痛いなあと思ったら知らないうちに色んなところが切れていた。多分作業中にできたものなんだけど。
これくらい大丈夫だって、痛みに鈍いのは昔からそうだった。
例え気分が悪くても、どこか調子が悪くても『言われてみれば』くらいにしておくというか、いつも"気のせい"にするのが癖。小さな頃から自分の気持ちを伝えることが苦手だったこと。言ってしまえば『本当』になっちゃうんじゃないかという現実逃避。弱音が吐けない弱さ。
ふと手にできた小さな切り傷を見てなんだかすごく考えてしまった。
"なかったこと"になんてならないのに心のどこかに置き去りにしてとてつもなく逃げたくなる。
誰も傷つかないように、誰にも気づかれないように、静かにそっと息ができていればいい。
それさえ贅沢に思えるほど、目の前の呼吸に精一杯でいたい。ただそれだけなんだ。だけどそれが難しい。
全身で風を感じよう。
明日どこへ行こうか。明日は来るのだろうか。明日って何だろう。
どんな景色が見たい?そこはどんな色?誰かいるの?誰と見たい?そこで何を感じているの?笑ってる?泣いている?
今、何が見えていますか?何が見たいですか?
溢れ出すものを、静めて残るもの。
欲しいものは何もない。
ただ今、私に見えているもの。
それを今日も、ずっと追い続けている。


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