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Chapter 2 Vol. 13  チョコレート・ボンボンはあきらを狂わせる



はじめに

先週はお休みをいただき、大変失礼いたしました💦
いつも応援してくださっている方々には、申し訳ありません。
今週からまた再開します。
もしよければ、ぜひお立ち寄りくださいませ。😊

あらすじ

2030年以降、先進諸国では人体へのマイクロチップの挿入が法律により義務付けられていた。
犯罪率の激減、豊かで便利な生活。一見すると完璧なシステムに見えた。
しかし2050年、アポカリプスと呼ばれるコンピューターウィルスが発生し、
世界中がその脅威に晒されることになる。
片桐あきらは叔母の住むフランスに避難することになる。
フランスでの美しい生活と、日本に残した両親への想いで少年の心は揺れるのだが…。

初めての方は、こちらからどうぞ。

Chapter 1
プロローグ

前回のお話は、こちらから。

Ch2. Vol. 12 死の影、恋の影


本編 Chapter 2 Vol. 13  チョコレート・ボンボンはあきらを狂わせる


  秋休みが終わった。公園やカフェテラスから学生たちの姿が消え、彼らはまた元通りの生活に戻っていった。あきらもインターナショナルスクールへの通学を再開したが、以前のようにフランス語の勉強に身を入れることができなかった。ペンを持つ手に力が入らず、文法の練習問題をしょっちゅう間違えた。口頭練習では、舌がもつれて自分が何を話しているのかもわからなくなっていた。

「集中しなさい、あきら」教師が言った。あきらは謝った。
「謝る必要はない。ただ、同じミスをしないように気をつけなさい」
教師は穏やかに言い、こう付け加えた。
「《Errare humanum est, sed perseverare diabolicumエラーㇾ・ウマヌム・エスト セッド・ペルセヴェラーレ・ディアボリクムラテン語で『失敗は人間の成せる業。同じ失敗をくりかえすのは悪魔の成せる業』という意味だ。君は悪魔になりたいか?」
そして彼は例の妙に几帳面な灰色の瞳で、少年をじっと見つめた。
クラスメートたちがくすくす笑った。レオナルドはいつも真顔で話すものだから、それが冗談だと気づくまでに少し時間がかかる。あきらにはそれが可笑しいのかどうかさえわからなかった。


 
 少年は自分の答える番が終わると、ぐったりと席に座り込んだ。そして何とはなしに窓の外を見た。窓辺のカーテンがぶらんこに揺れる少女のスカートのように踊っていた。秋の陽射しは翳る気配もなく、楽しげなひかりをたっぷりと地上に注いでいた。中庭でコーヒーを飲んでいる生徒たちの声が明るく響いていた。世界は現在進行形のみで成り立っているように思われた。あきらだけが花憐の言葉によって過去に留まっていた。ピンで固定された昆虫標本のように。

 授業が終わると、あきらは躰中からエネルギーが抜けてゆくのを感じた。まるでゾンビか何かにでもなってしまったようだった。彼は一刻も早く家に帰りたかった。けれど帰り支度をしていると、エイドリアンがあきらの元にやってきた。
「よう、あきら。今日は絶好調だったな」
スコットランド人の少年は口の端に微妙な笑みを浮かべて言った。彼の背後にいつのまにかフングと宇轩ユシュエンがいた。
「あきららしくなかったな。まだ腹が痛いのか?」と宇轩ユシュエンが尋ねた。
「そう言われると、顔色が悪いね。幽霊にでも遭ったみたいだよ」フングが言った。
「いや、体調はいいよ。それより、みんな揃ってどうしたの?」あきらは力を振り絞って答えた。
「どうしたも何も。焼き栗、食いに行くんだろ?お前のアイディアじゃないか」エイドリアンが言った。
しまったとあきらは思った。そうだ、あのピクニックの二日後、一緒に焼き栗を食べに行こうとメールでやりとりして決めたのだった。少年はあの日の自分が、どこか遠い場所にいる別の人物みたいに感じられた。

 エイドリアンは彼の肩を組み、フングと宇轩ユシュエンを連れて教室を出た。外に出ると、11月の薄い空が頭上に広がっていた。水彩絵の具を溶かしたようなぼんやりとした青色で、白の配合が少し多すぎるようだった。まるで心ここにあらずの画家が適当に描いたような空だ。友人たちのおしゃべりも、あきらの耳には入ってこなかった。




 石畳の敷き詰められた通りを10分ほど歩くと、商店の立ち並ぶメインストリートに出た。街はすでにクリスマスの準備をしているようだった。赤と白のキャンディーケーン、つやつやした金色の飾り玉、香りのいい柊の葉が店の軒先を彩り、空にはイルミネーション用の電線が張り巡らされていた。まるでデートの約束を待つ若い娘のように、どの店もなんとなくそわそわしているように見えた。



 通りの向こう側から、「ショー・ショー・マロン・ショー(熱々の焼き栗だよ!)」という掛け声が聞こえてきた。エイドリアンはその声に誘われるように、一気に駆け出した。あきら、フング、宇轩ユシュエンも慌てて彼の後を追った。屋台はおもちゃの機関車のようなかたちをしていて、ボディは赤いペンキで塗られていた。そこに「Marrons chaudsマロン・ショー」と書かれた大きな緑色の看板がぶら下がっていた。車の中では黒い旧式の焼き栗機がもうもうと湯気を立てていた。その向こうに、鳥打帽を被ったやせぎすの初老の男性が座っていた。頬のこけた鋭い顔を灰色の山羊ひげが覆っており、濃くて太い眉毛の下に強いひかりを放つ瞳がある。大きな鷲鼻はいかにも頑固そうに顔の真ん中におさまっていた。男はらくだ色のセーターの上に革ジャケットを羽織り、擦り切れたジーンズを履いていた。ジャケットの下には年齢の割におどろくほどしっかりとした鎖骨が見え、その近くにはタトゥーが彫られていた。ピラミッドの中に閉じ込められた瞳を模した図柄だった。男はなんとなく街の様子を伺っている元ギャングといった風貌で、焼き栗売りのようには見えなかった。



Bonjourボンジュール」エイドリアンが声を掛けた。
Bonjourボンジュール」焼き栗売りの男が答えた。
「おじさん、その大きな袋をひとつね」
男は目に見えないほどかすかに顎を引いて頷き、焼きたての栗を袋に詰めた。湯気が舞い、香ばしい匂いが立ち上った。少年たちは唾を飲んだ。
「お前さんたち、インターナショナルスクールの生徒だろう?どこの国から来たんだい?」
男はしわがれた声で言った。一日に煙草を100本くらい吸っていそうな声だ。それは学校の教師の明瞭な発音とは違って、外国人の子どもたちにとっては聞き取りづらかった。彼らは顔を見合わせた。男は「国だよ、国。どこの国?」と繰り返して言った。それで少年たちはそれぞれ自分の国籍を名乗った。
「ああ、マイクロチップ使用国から来たんだね。どうだい、フランスの生活にはもう慣れたかね」
エイドリアンはちょっと考えてから答えた。
「そうですね。ここでの暮らしは楽しいですよ。まあ、フランスの珈琲は相変わらず好きになれませんが。俺は親父の仕事の都合で家族そろって来たんです。だから家に帰ればにぎやかだし、学校に行けば友だちもいる。なあ?」
エイドリアンは三人の仲間の方を見て言った。フングは顔をまっ赤にしながら頷き、宇轩ユシュエンは相変わらず無表情な瞳で遠くを見ていた。あきらは小さな声で「うん」と言った。こんなとき、エイドリアンのようにスマートに受け答えができればいいのにと思いながら。
「お前さんたちも若いのに大変だったな。だが、ここに来たからには安心するといい。フランスは安全な国だ。アポカリプスとやらも関係ない。これはおまけだ。学校の先生たちには内緒だよ」
焼き栗売りの男は栗のぎっしり詰まった袋と一緒に、もうひとつ別の紙袋を渡した。エイドリアンが代金を支払うと、男は片目をつぶってみせた。少年たちは礼を言い、その場から立ち去った。



 焼き栗売りのスタンドのある場所からさらに5分ほど歩くと、小さな公園があった。公園の中央には時計台があり、その周りを取り囲むように花壇が設えられていた。花壇は枯草だらけで、ずいぶん長い間手入れをされていないように見えた。公園には二台のベンチがぽつりと置かれていて、そのうちの一台には疲れた様子の中年の女性が座っていた。女性は白くふっくらした躰付きで、首元から足首まで脂肪で覆われていた。彼女は弱い午後のひかりの中で目を細めていた。まるで動物園の片隅で、残りの時間をどう過ごそうかと思案している象みたいだった。少年たちが隣のベンチに座ると、彼女はめんどうくさそうに腰を上げてどこかに行ってしまった。




 彼らは袋の中の焼き栗に勢いよく手を伸ばした。栗はまだ温かく、森の中に積み重なった落ち葉のような香りがした。爪を食い込ませると殻はかんたんに外れた。栗はよく焼けていて、ほどよい甘さだった。
「やっぱり焼きたてはうまいな。遠慮せずにどんどん食えよ」エイドリアンが言った。
「おいしいね。栗なんて食べたの、久しぶりだよ」フングが言った。
「まあまあだな。故郷の糖炒栗子の方がもっとおいしいけどね」宇轩ユシュエンが言った。
「え、何それ?」あきらが尋ねた。
「栗を炒って、砂糖をまぶしたお菓子だよ。すごくおいしいから、あきらも一度食べにくるといいよ」
宇轩ユシュエンが微笑んだ。彼の瞳の中にはしみじみとしたひかりが宿っていた。彼も笑うことがあるのだな、とあきらは思った。
「ねえねえ、その包み、何?」りすのように頬を栗でいっぱいにしながら、フングがエイドリアンに尋ねた。
彼は焼き栗売りの男が渡してくれた品にとても興味があるようだった。
「お、そういえばそうだな。ちょっと開けてみようか」
エイドリアンが袋を開けると、銀紙に包まれた小さな球形のものが転がり出てきた。中身はチョコレートだった。それはつやつやしたダークブラウン色で、硬い甲羅に覆われた昆虫のようにも見えた。エイドリアンはとりあえず全員に一個ずつ配った。少年たちはそれを口に放り込んだ。ひとくち齧ると、濃い液体が喉元に流れ込んできた。その液体は喉を焼きながらゆっくりと胃の方に下りてきて、腹の底で火のように爆ぜた。
「うわ、何これ!」フングが叫んだ。
「酒が入ってるんだ。チョコレート・ボンボンだよ」エイドリアンが言った。
宇轩ユシュエンは顔色を変えずにそれを頬張っていたが、何も言わず二つ目に手を伸ばした。
「お前、けっこういける口か?いいねえ、ガンガン食おうぜ。ほら、お前らも早く食わないとなくなるぜ」
少年たちはチョコレートに飛びつき、貪った。それは11月の憂鬱な空の下で、命を輝かせる起爆剤みたいに彼らの躰を温めた。10分ほどすると、袋一杯に入っていたチョコレート・ボンボンはすっかりなくなっていた。


「ああ、おいしかったねえ。僕、チョコレート・ボンボンなんて初めて食べたよ」
帰り道を歩きながら、フングは心から満足そうに言った。彼の口のまわりはチョコレートで汚れていた。宇轩ユシュエンはジーンズのポケットからティッシュペーパーを取り出し、フングに渡してやった。
「そうだな。フランスのチョコレートは、悔しいけどやっぱりうまいな。ウィスキーは俺の国の方がうまいけど」
エイドリアンが言った。
「君、酒なんて飲むのか?まだ未成年だろう」宇轩ユシュエンがすかさず指摘した。
「俺はあと二か月で16歳になるんだぜ」
「それがどうしたの?成人にはまだ遠いでしょう」
「何言ってんだよ。スコットランドでは16歳はもう成人だ」
「僕の国でも、16歳は成人だよ」フングが会話に割って入った。
「でもこの場合、僕たちはフランスにいるのだから、フランスの法律に合わせるべきじゃないかな」宇轩ユシュエンは考えながら言った。「ねえ、あきら。君の国ではどうなの?」
彼は振り返ってあきらの方を見た。あきらは先ほどから一言も発していなかった。彼の頭は熱を帯びてずきずき痛み、そのくせ躰中を風が吹き抜けているみたいに寒気を感じた。胃の中で凶暴な小人が暴れているみたいに、ひどい胸焼けがした。下を向くと吐きそうになったので、彼は低い雲が垂れこめている空のあたりをぼんやりと見ていた。
「あれ、何だか顔色が悪くない?大丈夫?」宇轩ユシュエンが言った。あきらは答えるのも億劫で、小さく頭を動かして頷くのがやっとだった。
「なんだよ、まさかあれしきのことで酔っぱらったのか?だらしないな」とエイドリアンが言った。
「でも、僕、聞いたことがある。アジア人の中には、ナントカっていう酵素を分解できないからお酒がまったく飲めないひとがいるんだって。そういうタイプのひとにとっては、お酒は猛毒みたいなものなんだってさ」フングが言った。
「アセトアルデヒド、じゃなかったっけ」宇轩ユシュエンが言った。
「もしあきらがそのタイプだとしたら…。ねえ、本当に大丈夫?どこかで休もうか」
「いや、大丈夫。それよりも早く帰りたい」あきらはやっとのことで答えた。
「OK。じゃあ、急ごう。途中でどうしても我慢できなくなったら言えよ」エイドリアンが言った。
こうして一行は帰り道を急いだ。遠くの空から暗雲が迫っていた。雲は勢いよく空を覆っていった。まるで大急ぎでやってきた闇の使者のように。やがて雨が降り始めた。雨は細く、冷たく、シャワーのようにまんべんなくそこらを濡らしていった。少年たちは足を速めた。 



 あきらが帰宅すると、家には誰もいなかった。午後4時だった。彼は部屋に直行し、机の引き出しに入れておいた薬瓶を取った。台所に行ってコップに水を入れ、一気に3錠飲んだ。悪酔いに対してその薬が有効かどうかははっきりしなかったが、飲まないよりはましだろうと思ったのだ。まもなく猛烈な吐き気がこみあげてきた。トイレに行き、戻した。内臓がひくひくとのたうちまわっているような気がした。胃液が逆流し、喉が灼けるようだ。なんだかぼくはこの間から体調を崩してばかりだ、とあきらは思った。それからまた自分の部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。彼はすぐに眠りについた。とても深く眠ったので、夢も見なかった。


 目を覚ますといくらか気分がよくなっていた。吐き気もすっかり治っていた。寝ている間に汗をかいたようで、シャツがぐっしょりと濡れていた。彼は階下に下りてシャワーを浴びた。熱いシャワーを浴びていると、躰の隅々に残っていた病のかけらがひとつ残らず洗い流されていくような気がした。シャワーを浴び終わると、彼は上半身裸で鏡の前に立った。浴室の間接照明が彼のシルエットを淡く映し出した。ふっくらした子どもらしいほほと、肋骨の浮き出ている華奢な躰が奇妙な対比を成していた。それは成熟しかねて死んでしまったひよこの骸のようだった。彼は長いことその像を見つめていた。そのように客観的に自分の躰を見つめるというのは、とても妙な気分のするものだった。躰という容れ物には、何者かが入っている。あきらはその「何者か」と、今鏡を見つめている自分自身が同じ人物なのか確信が持てなくなった。



 彼はためしに、鏡の中の人物に向かって手を振ってみた。鏡の向こうの人物もまた同じように手を振り返した。続いてにっこりと微笑んでみた。鏡の中の人物もやはり微笑んだ。それから歯をむき出したり、ボディービルダーのように力こぶを作ってポーズを取ったりしてみた。鏡の像も、そっくりそのまま同じ動きをした。それだけのことだったが、彼にはたまらなく愉快に感じられた。なぜか唐突に、底抜けに明るい気持ちがあきらを襲った。彼は声に出して笑ってみた。笑って笑って、胃が痛くなるほどげらげら笑った。それから階段を駆けあがり、自分の部屋に戻るとカーテンを閉め切った。そして携帯電話を取り出し、アプリケーションに入れておいた音楽を適当に選んで大音量で流し始めた。



 買い物から戻ってきた由香梨がそっと様子を見に来たが、あきらは部屋に入らせなかった。続いて花憐とジャン・ルイがそれぞれ帰ってきたが、少年は誰も寄せ付けなかった。彼は夕飯さえ食べず、部屋の中で一晩中歌って踊った。
「ねえ、あの子、様子が変じゃない?」
由香梨は夕食の後でジャン・ルイに耳打ちした。
「こんなこと考えたくないけれど、まさかバグに感染したんじゃ…」
「それはありえないよ。君が言った通り、フランスではマイクロチップ自体が作動しないのだから。それにバグに感染するとしたって、いつ、どこで?たとえ学校でマイクロチップ使用国の国民と接触したとしても、感染には至らないはずだ。電源の入っていないパソコン同士を近づけたところで、コンピューターウィルスの入り込む余地はないだろう?それと同じことさ」
ジャン・ルイは小さな子どもに言い聞かせるように優しく言った。それからこう付け加えた。
「思春期の子どもは、何かしら馬鹿なことをするものじゃないかな。なぜか突然髑髏どくろマークの入った服を着たり、煙草を吸ったりして。君にもそういう時期はなかった?」
「まあ、そりゃあね」由香梨は肩をすくめて言った。
「ところで今晩はテレビでナポレオンの映画をやるんだ。君も一緒に観ない?」
ジャン・ルイは史実をテーマにした作品に目がなかった。特にナポレオンはお気に入りの人物だった。彼はワイングラスやかんたんなつまみなどを用意し、いそいそとソファの前に陣取った。由香梨もそこに加わった。それでなんとなくあきらのことは立ち消えになってしまった。

 花憐はこの一連の出来事を横目で見ていたが、関わろうとはしなかった。彼女は夕飯が済むと部屋に閉じこもり、ラファエルとメールのやりとりを始めた。彼女にとって、世界中で一番大切なのは彼からの言葉だった。メールの最後にハートの絵文字がいくつついているかということが、人類存続の危機に勝る一大事だった。それ以外のことは、地表を横切る影のようなものだった。あきらの変化が何を意味しているのかを、まだ誰も理解していなかった。



 あきらの症状は日に日に悪化していった。この世界を支配するのは五という数字だ、それが鍵だと大声で叫んだかと思えば、食後のアイスクリームが溶けてしまったと言ってしくしく泣き出すといった具合だった。彼は自分が少しずつおかしくなっていっていることを、薄々と理解してはいた。けれど以前のようにノートに自分の変化を記録することはとっくに放棄していた。彼の脳は論理的思考にアレルギー反応でも起こしているみたいに、すべての思索を拒否していた。海馬という空間を、常に音楽や言葉の切れ端やひかりの渦が占領していて、いっときも静かにならなかった。彼はこの訳のわからぬ苦しみを胃腸炎のせいだと思うことにした。幼少期から、風邪の場合を除いてあきらが体調を崩すのは決まってそのせいだった。そして薬を飲んで安静にしていれば、おおむね体調はひとりでに回復していった。だから少年は今回もそうなのだと強引に結論付けた。

 あきらは胃腸薬を過度に摂取するようになった。初めはただ単に肉体の苦痛を緩和させるために薬を飲んだが、次第にキャンディーでも舐めるように服薬するようになった。薬を飲むと心が晴れ晴れし、躰の隅々にまで活力がよみがえるような気がしたのだ。服薬の周期は初めは数か月に一度だったが、次第に週一度になり、やがて毎日になった。今では彼はこの薬なしではいられなくなっていた。


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