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『コルシカ島・南仏旅行記(5)』

 いよいよコルシカ島を離れる日が来た。しかし私たちの旅はこれで終わりではない。リヨンに戻る前に、南仏のイエールで途中下車して彼らの親戚に会うことになったのだ。
 イル・ルース(île Rousse : 「赤い島」の意)から船に乗り、八時間ほど揺られる。翌朝九時前に南仏のトゥーロンに到着した。そこからイエールまでは車で三十分もかからない。到着するとすぐ、グザビエの母親のジュリエットが出迎えてくれた。小柄な躰に淡褐色の短い髪の毛、少女のような微笑を浮かべている。そこへ、ジュリエットの姉のマリアンヌとその伴侶のミシェル、さらにアランの伯父のパスカルも加わり、場はあっという間ににぎやかになった。昼食までまだ時間があるからプールに行くといいとミシェルが言い、私たちは子どものように駆け出していった。


 プールというのは、そのアパートの設備に含まれているプライベートな空間で、住民の社交場と化しているようだった。水の中に入るのは気恥ずかしいが、ひとたび飛び込んでしまえば天国である。真夏の陽射しで疲れた肌が水をぐんぐん吸収するのを感じる。私はそうして水の中でのびのびと手足を動かしながら、ジュリエットとグザビエを観察していた。この親子は遠くから見ると年の離れた姉弟のように見える。この家族の人々には何か特別な遺伝子でもあるのだろうかと思うほど、みな若々しい。そして潔癖症と言えるほど綺麗好きである。
 ひとしきり泳いだ後、昼食に招いていただいた。お手製のラタトゥイユやフムス(ひよこ豆をペースト状にした料理)、そして私たちがお土産に持っていったチーズやワインなどをいただきながら、おしゃべりし、またプールに戻って泳いで、気が付いたらあっという間に夕方だった。



 さて、そこからさらに、今度は彼らのもう一人の従兄弟のトマの家へ移動する。トマと、その伴侶のディアナが招いてくれたのは少し奥まった場所にある山小屋だった。元々はトマの父親のものだったというが、改良して夏の別荘として使っているとのことだった。先ほどのメンバーに加えて、十五歳になったばかりの彼らの娘さんのクロエ、その友人のエマ、それから三歳の娘さんのガブリエルも加わり、再びアペリティフが始まった。クロエとエマは、メイクアップをしっかりして、爪を綺麗に塗っている。十五歳とは思えないほどの大人っぽさだねと言うと、彼女たちは少し恥ずかしそうな、誇らしそうな顔をした。
 パーティーの中盤で、少女たちは音楽を流し始めた。今、流行中のアラビア語のラップである。
「ひどい音楽を聴いてるなぁ。もっと趣味のいい音楽が他にもあるでしょう」とアラン。
「何言ってんのよ、これが今最高にクールな音楽なんだってば」とクロエが言い、エマも同意する。そして彼女たちはアランの周りを取り囲んで踊り始めた。
「あー、いやだいやだ、聴きたくない」と耳を塞ぐアランをからかうように、少女たちの踊りは加速していく。自分たちが若かったころは、『大人は何もわかっていない』と言い、大人になった今となっては『若者は何も知らない』とこぼす。これは世代を問わず、結局いつの世も同じことの繰り返しなのかもしれない。

 その晩、私たちはご夫婦のご厚意で、テントに寝かせていただくことになった。エマやクロエも、少し離れた場所にテントを用意している。テントで眠るなんて、何十年ぶりのことだろう。小学生の時の林間学校以来かもしれない。「野生の地へようこそ」とグザビエが言い、私たちはくすくす笑った。何せ深夜の船旅でろくに眠れなかった上に、休む間もなくプールだのパーティーだのと遊びまわっていた私たちは泥のように眠った…と言いたいところだが、実際はそうでもなかった。蒸し暑い空気と蚊の襲撃により、眠りはしょっちゅう妨げられた。おまけに耳栓を突き破る勢いのアランのいびきが一晩中聞こえている。翌朝、寝ぼけまなこでぼんやり起きると、少女たちはテントをたたんでとっくに部屋に戻っていた。 午後もアペリティフが続き、またひとしきり話した後、今度こそいよいよ別れを告げる時が来た。「楽しかったよ、ありがとう」だけでは感謝の言葉を言い足りない気がした。けれど彼らは南仏の空気のようなからっとした笑顔でこう言うのだ。「こちらこそ。またね」と。そう言われると、その「またね」はまた風に乗ってふとやってきそうな気がした。いつか来るその日まで、私は日々を大切に生きようと思った。





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