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【俳句】メンバーシップ句会に参加しました+徒然

くりの実をくいと指さすおさなごよ

ためらいと喉をくだるか濁り酒

木枯らしにめくれる文庫かげひとつ

気もそぞろホットワインを飲み干して

短日に霧散していくひとりごと


Kusabueさん主宰のメンバーシップ句会、秋冬の会に参加しました。急に寒くなり、風邪をひいたこともあり、心身ともに温まる句が詠みたいなと思って作りました。

一句目のくりの実の句は、幼い子どもの喃語の作品です。まだ「ら行」が発音しづらい子どもが、懸命にくりを「くい」と指さして親に伝えている様子を詠みました。

メンバーシップ句会の皆さん、いつもありがとうございます!


昨日放送されたプレ金ナイトでも触れられていましたし、かなり前の東京ポッド許可局でも(たぶん)サンキュータツオさんが発言していたことなのですが、

「伏線回収とかどうでもいいんだよな……」。

とかく「わかりやすさ」がもてはやされる時代のような気もしていて。でも何でもかんでも明らかに・わかりやすく・つまびらかにすることが必ずしもいいとは、私は思えないのです。「伏線回収されててすごぉ〜い!」のような声に接すると、「はぁ、そうですか」みたいになっちゃう。

謎は謎のままが美味だと思うし、こと文学はじめ文化芸術というのはその「わからなさ」にこそ、想像の余地や機微が宿る気がするんですよね。

わかりやすい指標は、多くの人の好物です。子どもの頃から、やれ偏差値だ学歴だ資格だ免許だと喧伝吹聴洗脳されてきた環境にいれば、それは無理からぬことかもしれません。ですが、それはもれなく抑圧を生むだろうし、エスカレートを待たず人間に優劣をつける思想を持つに至るだろうな、とういうのは容易に想像がつきます。

優劣ではなく、あるのはシンプルに「違い」なんですけどね。とかく自分が優れている(とされる)サイドにいる人ほど、己の払った努力を美化したがるし、現状維持(既得権益の)のためなら、正義の名の下に、いくらでも視野を狭くしてしまう。

そんなことをつらつらと考えた数日間でした。このひとりごとも、霧散していくのかな。

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