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【新連載】陽羽の夢見るコトモノは(1)

次回

陽羽ひわはこの日も機嫌がいい。たまたま入ったモスで注文したポテトSサイズの中に、陽羽の中指より長い一本が入っていた。それだけではない。オニポテの衣が、実に絶妙な揚げ加減だった。

中指より長いポテトを一口食べる。まだ三分の二くらい残っている。それだけで、陽羽の心の中に埋め込まれたセンサーは、喜びを表すごとく七色に輝く。

陽羽はモスのガラス窓から外を見る。口もとをもぐもぐさせた自分が映って、思わずくすっと笑う。風はこの頃すっかり優しくて、新緑をそよそよとなびかせるように吹いている。

ごごう、とはもう誰も陽羽を呼ばない。陽羽は「小鳥遊陽羽たかなしひわ」という名前を得て、彼女は彼女の時間を、歌うように——実際、歌っていることもよくある——歩んでいる。


陽羽の夢見るコトモノは (1)夜風

プロトタイプ type 5th Goddess→起動及び軌道確認済

八島伊織やしまいおりは、アルバイト先で廃棄になるところだった菓子パン類をエコバッグに詰めて、夜道を軽やかな足取りで歩いていた。メロンパンにチョコクロワッサン、今日はここにボンボンリングというドーナツ風のパンが加わった。これは嬉しい。

なんといっても、創作には糖分が肝要なのだ。たぶん、きっと、おそらく、創作とはとても糖分を消費する作業なのだ。だから、メロンパンもチョコクロワッサンも、ボンボンリングさえも、決してダイエットの敵ではなく、創作の優しいお供なのだ。

伊織はアパートのドアを開けようとして、鍵がかかっていなかったことに気がついた。あーやっちゃったなーと頬をかく。まあ、盗られるようなものはないから、せいぜい部屋を荒らされるくらいだろう。家具だってリサイクルショップで揃えたものばかりだから、何かあっても別に、大丈夫だ。

伊織がそっとドアを開けると、1DKの狭い部屋の中央に動く影を視認した。うわ、泥棒さんよ、せめて出て行ってくれ。伊織は開けた時と同じくゆったりとした速度で、ドアを閉じた。

どうしよう。泥棒が出ていくまで待つか。鉢合わせでもしたら、そのほうが怖い。

今が極寒や酷暑の季節ではなく、散歩に適した初夏であるのが、せめてもの救いだった。仕方ないので、伊織はサコッシュに菓子パンの入ったエコバッグを携えたまま、近所の公園まで歩くことにした。

この公園のベンチからなら、アパートの出入りがかろうじて確認できるのだ。伊織は仕方なく、自宅で食べる予定だったメロンパンにかじりついた。

次にボンボンリングにするかチョコクロワッサンにするか迷っていると、アパートのドアが開閉した。あっ、と立ち上がったとたんに、エコバッグごと地面に落下させてしまった。

風が、吹いた。薫風と呼ぶに相応しい、それは穏やかな風だった。

アパートから出てきたのは、背丈の低い、黒髪ロングヘアの白いワンピース姿の女の子だった。出てきたと思ったら、顔をひょこっと出して、また中に引っ込んでしまった。

(……え?)

伊織は思わず腕時計を見た。まさに日付が変わろうとしているところだった。こんな真夜中に、あんな女の子が、なんでウチに? まさか家出とか?

相手がどうやら犯罪者ではなさそうだと判断した伊織は、仕方なくアパートに戻って、ドアの前に立った。コホン、と軽く咳払いする。何が悲しくて自宅に入るのに緊張せねばならんのだ。

ドアノブに手をかけて、力を込めて引いた。

伊織の視界に、いつも通りの光景が入ってくる。積読だらけの壁際、百均ばかりで揃えた食器の収納された小ぶりのキャビネット、折りたたみ式テーブルの上の書きかけの原稿用紙とOSの古いノートパソコン、生地の擦れた寝袋。つまり、とっ散らかった1DKの姿が。

(あれ?)

何かの見間違いだったか。アルバイトで疲れすぎて、もしかしたら幻でも見たんだろうか。伊織が靴を脱いで電気をつけて部屋に入ると、広げっぱなしの原稿用紙の上に、なにか落ちているのに気づいた。

羽だ。鳥でも、紛れこんだか……? 小鳥にしては、随分と大きいけれど。

「触るな!」

突然背後からそう声をかけられ、伊織は心臓が口から飛び出しそうになった。驚いて振り向くと、玄関には先刻見かけた少女ではなく、真っピンクの髪に銀色の鋲が目立つ黒いぱっつんぱっつんのスーツに身を包んだ、メイクのキツめな女性が立っていた。

「え、え?」

触るな、とは伊織が手にしていた羽のことだろうか。もう触っちゃったけど。

パンクな雰囲気をバンバン醸すその女性は、伊織に無遠慮に近づくと、伊織のノーメイクの顔をじっと見て、

「ふん、随分とジミーちゃんね」

と吐き捨てるように言った。さらに部屋をぐるりと見渡し、雑然とした様子が気に入らないらしく、聞こえよがしにため息をついた。

「こんな狭くてしけた部屋が、『神殿』だなんて。つくづくついてないわ」
「あのう……」

どちらさま? 伊織が尋ねるより早く、その女性はニヤリと笑って、「私は中野エリーゼ」と名乗った。

「事情説明はあとにさせてね。とにかく、今日から、っつーか今から、この部屋は神殿だから」
「はい?」
「神さまの家ってこと。家賃は折半。水光熱費はこっちで持つ。あんたにとっても悪い話ではないはず」

なんだろう。これは、もしかしたら新手の犯罪手口……? と伊織が凍りついていると、窓から夜風が吹きこんできた。思わず伊織はまぶたをぎゅっと閉じる。

次に目を開けると、伊織の目の前には、確かにアパートのドアから姿を見せた、あの白いワンピースの少女が、とびきりの笑顔で立っていた。

「えっ……?」

▽(2)につづく


「神話創作文芸部ストーリア」に向けて、新連載を始めてみました。

ストーリアには、以前は「さいはてキッチン」という作品を連載しました。

こちらとはまた趣の異なる、新しい神話の世界を紡げたらと考えています。不定期更新にはなると思いますが、おつきあいいただけると嬉しいです!

記事をお読みくださり、ありがとうございます!もしサポートいただけましたら、今後の創作のための取材費や、美味しいコーヒータイムの資金にいたします(*‘ω‘ *)