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【小説】コトノハ

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小さな喫茶店で生まれる、小さな物語たち。不器用だけれど、それゆえ優しい人たちの織り成す時間と空間のこと。
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コトノハ 第一話

コトノハ 第一話

舞台は、2018年の晩秋。東京の西の隅っこにある小さな街の一角にある、小さな喫茶店。

不器用でも一生懸命な人たちが、少しずつ優しさを差し出しあって次の一歩を踏み出す、そんな物語。

登場キャラクター吉田美咲 喫茶「コトノハ」で働きながらパティシエを目指す主人公。

神谷広樹 コトノハのマスター。大学生の一人息子がいる。

新藤朋子 高校を不登校になりコトノハを手伝っている少女。

ヨーコ  突然

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コトノハ 第二話

コトノハ 第二話

美咲がじっとその名刺に釘付けになっていると、その女性は続けた。
「ここはガトーショコラが人気らしいわね」
「えっ」
「グルメサイトに載ってたのよ。でもまだお腹がそんなに空いていないから今度にしようとは思うんだけど」
「はあ」
「このブレンドもなかなかいいわ。向こうに引けを取ってない」
「『向こう』?」
「ええ。ウィーンのメランジュを思い出す。ミルクをフォームして上にのせたら本格的だと思うわ」
反射

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コトノハ 第三話

コトノハ 第三話

美咲が閉店の準備のために店先のランプを消そうと外に出ると、たったかと軽快な足取りでマグが帰ってきた。
「おかえり」
その言葉に呼応するようにマグが鳴いた直後、美咲は人影に気がついた。
「すみません、今日はもう閉店時間で……」
「すみません」
マグに導かれるようにしてやってきた青年は美咲と目が合うと反射的に謝った。青年、透は斜陽をそのまま背負ったような浮かない表情を浮かべている。
「なんとなく、その

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コトノハ 第四話

コトノハ 第四話

それから数日後、コトノハの店内最奥のテーブルにホームセンターで買ってきたベッド用の天蓋が設置された。ここで魔女・ヨーコがオーストリアをはじめとする欧州諸国から買い付けたグッズを売ることが決まってからというもの、美咲はもちろん朋子も喜んで開店の準備を手伝った。
天蓋はシンプルに白いデザインを選んだので好きなように飾りつけられる。本場のさまざまなデコレーション類を、この日は朋子が一緒に取り付けていた。

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コトノハ 第五話

コトノハ 第五話

朋子はまだコーヒーにミルクを入れないと飲みきれない。神谷の淹れる一杯を求めてやってくるファンが多いのは知っているが、ブラックではどうしても苦みや酸味が強く感じられてしまうのだ。それをよく知っている神谷は、ほどよく温めたミルクを朋子に差し出した。ランチ時の混雑が一段落して皿洗いを頑張ったことへのねぎらいとして。
「ありがとうございます」
朋子の両手にちょうど収まるサイズの愛らしいカップに入ったミルク

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コトノハ 第六話

コトノハ 第六話

香月は驚きの表情を全く隠すことなく、透の隣にすとんと腰を下ろした。
「ねえ、覚えてないかな? 私、第八中で一緒だったミヤマカツキ」
透は突然そう言われて、ぎこちなく「はい?」と返すのが精いっぱいだった。香月は構わずに続ける。
「人違いだったらごめんね、でもそうでしょう? 沢村くんでしょう?」
「香月ちゃん、特盛りがのびちゃうよ」
香月をけん制するように神谷がいうと、「あ、そうだった」と彼女は山のよ

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コトノハ 第七話

コトノハ 第七話

透のただならぬ雰囲気にこれ以上は問うべきではないととっさに察した香月は、
「そうなんだ。まあ、いろいろあるよね」
とはぐらかすように笑った。透は跳ね上がってしまった動悸をどうにか抑えるため、ぎこちない手つきで懸命に胸元をおさえている。
「大丈夫?」
香月の心配の声に、しかし透は首を横に振るばかりだ。
「すみません……」
「なんで謝るの」
「お水を、ください」
香月はハッとして「美咲ちゃん、お水ちょ

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コトノハ 第八話

コトノハ 第八話

数日前のことだ。定期的に自宅に訪問する若手のソーシャルワーカーが、透の提出した『日課のチェックリスト』中の11 月 27 日(火)と 11 月 30 日(金)の欄に「コトノハ」という走り書きを見つけたので「これはなんですか?」と質問をしてきた。生来の不器用さゆえ嘘やごまかしをうまく使えない透は、正直に「喫茶店です」と答えた。
「喫茶店?」
「はい。JRの駅前の方にある、小さな……」
「この日はそち

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コトノハ 第九話

コトノハ 第九話

かえでメンタルクリニックはJR駅から徒歩圏内の雑居ビルに開業されており、心療内科と精神科を標榜している。
透が紹介状と市役所から送られてきた受診のための医療受給者証などを受付に出すと、医療事務の女性がにこりと微笑んで「お待ちください」といった。
透は落ち着かない様子でクリニック内を見回した。観葉植物に給水器、グルメのムック本や猫の写真集の入ったマガジンラック、座り心地のいいソファー。木目調の壁面と

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コトノハ 第十話

コトノハ 第十話

コトノハのある街は外国人観光客も多く滞在する。都心へのアクセスが良好な上にホテル代が比較的安価だからだ。コトノハにも時折やってくることもあるが、これまではメニューの指さしか単語の羅列でどうにか応対してきた。笑顔があればノンバーバルコミュニケーションでもどうにか乗り切れるものだ。
ところが、この日やってきた欧米人のカップルはデザートにガトーショコラを口にしたとたん、近くで別のお客さんのグラスに水を注

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コトノハ 第十一話

コトノハ 第十一話

封書には住所の記載もなければ切手も貼られていなかった。どうやらここに直接投函されたものらしい。
透はざわつきを覚えた。忘れるわけがない。これは間違いなく朋子の筆跡だ。家に入ってハサミでそっと端から開封すると、レースをかたどったカードが出てきた。そこには、やはり朋子の字でこう書かれていた。

<クリスマスパーティーのお知らせ>
12月24日(月)15:00~
場所 コトノハ 貸切ります
スペシャルサ

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コトノハ 第十二話

コトノハ 第十二話

香月が働いている介護老人保健施設「とまりぎ」のデイケア部門では、月に一度「お出かけ企画」というものがある。これは利用者たちの合議で外でのレクリエーションを楽しむ内容を決めるプログラムで、11月は和食のファミリーレストランにみんなで行った。そこで、普段は小さなおむすびをようやく半分食べられる程度のとある老婦人が、握り寿司と半ざるそばのセットを注文した。もちろん香月は心配したが、その婦人は「昔よく、主

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コトノハ 第十三話

コトノハ 第十三話

ゴミ捨てのために裏口のドアを開けて一息つくと、吐いた息が真っ白になった。あっという間に指の先まで冷たくなったので、暖めようと手をこすりあわせた。
ふと空を見上げると、夕暮れ時ののどかな空に滔々と雲が流れている。あー、と思わず声を出しそうになる。渡り鳥の飛影が駅前のビル群をかすめて、遠く遠くへ去ってゆく。
あの中のひとつが、きっと大切な人の化身なんだ。渡り鳥はいつだって気まぐれで、だから地に足をつけ

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コトノハ 第十四話

コトノハ 第十四話

ヨーコにはひとつ気がかりがあった。期末テストで好成績を出して以降、朋子がどこか浮ついたような、落ち着かない様子でいることが増えたからだ。
客のオーダーを間違えることもしばしばで、そのたびに美咲が謝るのだが、その隣で当の朋子はぼーっと立っているのである。
今日は、ナポリタンと和風スパゲティを間違えてしまった。相手が常連で、「いいよいいよ、こっちでも」と寛容に応じてくれたからいいものの、美咲が「申し訳

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