4 表現をささえるために、その場にいるみんなが心がけること
4 表現をささえるために、その場にいるみんなが心がけること
釜ヶ崎に暮らす人々は実にさまざまで、さらに地域外からもいろんな人がやってきます。野宿や生活保護受給者、障がいや病気をもつ人々、ひきこもり歴や犯罪歴、アルコール、薬物などのアディクションのある人、悩み事のある人など。そうした人々との関係が硬直しそうになると、揺らし、ずらし、笑えることを大事にしています。
4-1 安さんに表現の根源を教わった
オープン以来毎日五回程通い続ける高齢の安さん。注文もしないのでお金を払いません。彼はトラブルメーカーで急に怒りだしたり暴力をふるったり、お金をせびったり、大変でした。スタッフからは出入り禁止を要請されましたが、なんとか説得して出入り禁止にするのではなく、何か起こすたびに、この場がみんなの居やすい場にしたいことを彼に伝えました。そんなに毎日何度も通ってくれるので、店内で開かれるワークショップに誘うのですが、彼は決して参加しません。一年半ほどが経ったある日、「手紙を書く会」に誘いました。断ると思っていたのですが、「書くわ」と言って、わたしの横でペンを握りました。書き始めると、ひらがなの「き」はどうやって書くん?と聞いてきました。手紙が出来上がりました。あて先は安さんが赤ん坊のときから育ったという施設の園長さんでした。わたしはそれまで彼が字を書けないということを想像できていませんでした。これまで、ワークショップに参加しなかった理由がわかりました。字が書けないことが知られるなんていやなことですもんね。でも一年半かけて、ココルームという場所は字を尋ねても誰もじぶんのことを笑ったりバカにしたりしないと、心の底から思えるようになったんですね。この場を信頼してくれたんですね。
それから、安さんは堰をきったように、絵を描いたり、妄想のおしゃべりの内容も広がりをみせ、これまで言えなかった「ごめんなさい」と「ありがとう」を言うようになりました。彼に教わったのは、誰もが表現できる場というのは、お互いに存在を認め合う場をつくろうとすること、その場にいるみんなが努力することが大切だということです。わたしは「生きることは表現だ!」とスローガンを掲げていましたが、表現する個人の力量だけではなく、周りとの関わりのなかで表現は生まれることに気づきました。表現がうまくできないのはその人個人の責任ではないということです。周りの人たちとともにつくりあげるものだと考えます。そもそも誰もひとりでは生きることはできません。忘れがちなことですが、関わり合って生きています。表現が下手な面倒臭い人たちをその場から立ち去らせるだけでは、社会は成り立たないと思います。生きることと表現は密接な関係にあるといえるでしょう。排除の論理では、生きるための表現になっていかないんですね。
4-2 臨時家族もあり。血縁ではないけど、関わり合うこと
高齢になると、文字を読むのも一苦労です。ココルームには何種類もの老眼鏡を置いています。入れ歯は共用できないけれど、老眼鏡は何種類かあれば役に立つから。
ココルームにひとりで来たときは本でも読みたいと思う亀おじさん。手に取る本は決まっています。何度も読んでいるので「おもしろいの?」と聞くと、「字が大きいから」と。本を開くと、たしかに本文の文字が見出しのように大きい。そこで、わたしは買ってきた絵本をカウンターにそっと置いてみました。「ともだち」谷川俊太郎さんの絵本。
釜ヶ崎にいる多くのおじさんは、家族と縁を絶った人が多く、人間関係が希薄だと言われています。道端で情報共有はするし、親切だし、店で隣同士になれば気さくに話しかけ、おごりあいもします。しかし、本名を聞くことはなく、店を出ればどこに帰るのかお互いに知らせ合うことはありません。ドヤはその日暮らしです。仕事のある時代はそれでもよかったのでしょうが、多くの人が生活保護受給となったいまでは、その不関与規範は孤独感をつのらせます。ひきこもりがちになり、病気になり医療費はかさむし、孤独死だらけになってしまいます。災害でも起こればどこにどんな人が住んでいるのかわからないから甚大な被害になりそうです。誰でも人間関係をつくるのは勇気がいるし面倒も増えるものです。けれど、つながりがもたらすものは大きいのも確かです。
亀おじさんもまた、そうしたつながりを意識しはじめたひとりです。2013年から地域では区役所の事業として生活保護受給者を対象とした社会的つながりづくり事業がはじまり、ココルームも参画してプログラムを手がけています。彼はその事業に登録し参加するようになって、ともだちができました。芝居好きのおじさんが誘って、新喜劇の役者もはじめました。ほとんど誰とも喋らなかった生活が一変したそうで、その翌年ヨコハマトリエンナーレでは釜ヶ崎芸術大学の出張講座として横浜美術館で新喜劇を披露しました。
絵本を置いた数日後、亀おじさんがこの絵本「ともだち」を手に取っていると、わたしの娘(4歳)がその姿をみつけて、カウンターの隣の椅子に腰かけると、声にだして読むようにせがみました。亀おじさんはこどもに急に頼まれて、ちょっとびっくりしたようでしたが、そんな素振りもみせず、ゆっくりした優しい声で絵本を読み始めました。
すきなものが ちがっても ともだちは ともだち。
ことばが つうじなくても ともだちは ともだち。
としが ちがっても ともだちは ともだち。
70年生きて再びともだちを得た人と4歳の人が絵本をはさんで、ともだちについて時間をともにしている姿は暖かさに満ちています。わたしは、すこし離れたところで仕事をしながら、その声に耳を澄ませていました。
この社会では「家族」にさまざまな役割や規範、幻想が付与されています。呪縛があるといっても過言ではありません。わたしは、家族がいつまでも一つの屋根の下で成長するわけではない、と思います。ときには、家族から離れてみることも、そして、血縁ではないよその人を招き入れる臨時的な家族があってもいいと思います。そうした関わり合いが、多様な価値観を学ぶよい機会になります。
4-3 ことばはつかいようで、未来は変わる
もうひとり、栗おじさんの話も紹介しましょう。この人は思い込みが激しく、ココルームを福祉的な支援をするNPOと勘違いして入ってきました。数日おきに来て、飲み物を注文するわけではなく、大きな声でどれだけ自分の人生が悲惨かを語り続けます。誰かが口をはさもうとすると、さらに激しい声で続けます。しばらくしてココルームが支援の団体でないことがわかったようですが、彼の態度は変わりませんでした。「そんなに人に聞いてもらいたいことがあるなら、釜ヶ崎芸術大学に行って、話してみたら」とすすめると「いやや」と言い、頑なに拒みました。一年が経ち、再び釜芸に誘うと「行ってみるが、一年間行ってつまらんかったら自殺する」と言うのです。極端な話ですが、そういう話し方をする人だから仕方ありません。好きにしてください、としか答えず、彼はそれから熱心に釜芸に通い始めました。創作狂言にも挑戦しました。自分のだめさを台本にして、能舞台で演じると会場から拍手喝采をあびました。お互いにインタビューをして詩をつくる詩の講座では、彼はインタビューされることはあっても相手に質問をして話を聴くということができません。そのため、彼のつくる詩は勝手に相手を想像した詩でした。詩作の趣旨とは異なるのですが、それでもずっと参加しつづけました。彼のその思い込みの激しさに辟易とする場面は何度もありましたが、その思い込みゆえ通い続けたのかもしれません。時にはスタッフや他の参加者と大げんかをして「もう二度と来ない」と言って扉をバタンと閉めて出て行ったこともありました。けれど、しばらくして、戻ってきて頭をさげたこともありました。ある日、彼が「どうしてここに来つづけているか知ってる?」と聞きました。わかりません。彼は続けて「ごはん、誘ってくれたやろ」と言うのです。
わたしたちは昼と夜、お客さんとスタッフで「まかないごはん」と呼ぶ食卓を囲みます。お客さんにはお金を払ってもらいます。そして、彼はココルームではほぼ何も注文しません。当時は狭い店内でしたから、わたしたちだけが食卓を囲むことになるので、カウンターにいるお客さんたちにわたしは一声かけるわけです。「いっしょにご飯食べませんか」。その声かけを、彼はご飯を誘ってもらったと言うのです。わたしはそんな風に彼に声をかけた記憶はとくになく、いつものふるまいだったと思います。けれど、彼はそれを覚えていたのです。ことばづかいといいますが、ことばは使いようですね。排除されがちだった人にとって、ご飯を一緒に食べようと誘われることはそんなになかったのかもしれません。これを「あなたはわたしたちとご飯を食べませんよね、じゃあ失礼してご飯たべますね」と言っていたらこうはならなかったかもしれません。同じことを違う言い方で言っただけなのですが。
先の安さんも、いっしょに食卓を囲むことなんて最初の数年間は想像もできませんでした。やがて、安さんといっしょにご飯を食べることは日常の1コマになりました。生活保護の支給日のあとにやってきて、「まかないチケット」を買うようになり、やがてはお金まで預かることになっていきます。
栗さんは、ココルームでのいろんなことの積み重ねのなかで、この店は喫茶店ではあるけれど、いわゆるお金儲けだけの場ではなく、おべんちゃらも言わないけれど率直に正直に人と関わろうとする場だと、彼自身が気づいてくれたのだと思うのです。ごはんを誘ったこの一言が彼を変えたのではなく、変えていく要素が彼のまわりに生まれ、そして彼自身も変わりたかったそのタイミングがやってきたのだと思うのです。
未来は未確定。だからこそ、決めつけずに、ことばのふるまいは開き具合を工夫しながら。そんな地道な積み重ねのなかに、自律的な未来はあると考えます。それは、「希望」なんだと思います。将来こうなりたいとか、目標がどう、とかといったものでもなく、ちいさな結び目を編んでゆくようなささやかな希望です。