学校に行けるようにと声がけをしていたか
行き渋りから、不登校初期(完全不登校になってから2ヶ月位)は登校刺激していました。
学校に行けるようにといろいろな働きかけもしていました。が、それ以降は登校刺激も含め特に何も学校や勉強については声がけしていませんでした。
あのときに何もしなかったからこそ、息子は再登校出来たのではないかと思っています。
息子は人にいろいろ言われるのが嫌いです。
指図されるのも嫌いです。
人と比べられるのも嫌いです。
そんな息子だからこそ、何も言われない事か正解だったのではないかと思います。
この頃は学校や勉強のことは一切私から話しませんでした。
すっかり心が折れ、生きる気力もなくなっていた息子でしたので、学校や勉強のことは一旦忘れようと思いました。
それよりも私は息子の心を先に回復させたかったのです。
息子の心を守りたかった。
学校や勉強についての話題は『いつか息子からしてきたときにしよう。』そう決め、それまでは一切私からはしませんでした。
心が回復してきた息子。
やはり息子から学校、勉強、高校、受験……などの話をしてきました。
まとめ
【息子の場合】
学校に行けるようにと私は声がけをしませんでした。
逆に一旦学校や勉強のことから距離を取る事を選択しました。
息子の性格上これが合っていたと思っています。
行けるようにと声がけをしなくても、息子は自分から動き出し、再登校しました。
無理に行かせようと声がけを頑張らなくても大丈夫でした。
不登校で悩む親の手助けをしたいと思い仕事、家事、育児の合間に記事を書いています。よろしければサポートお願いします。