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私まで狂ってしまったらどうしよう、とずっと恐れてた。

15年ほど前の話。

当時、私は自然療法士として起業したばかり。

たいした売上もなく、思ったほどスムーズにいかない現状にストレスを感じながら生きていた。

仕事が軌道に乗れば、すぐに実家から独立しようと思っていたのに、見通しが立たない日々。

そんなある日、姉が泣きながら私の部屋に入ってきた。

「けいちゃん〜、私、どうしたらええんやぁ
苦しいんや、なぁどうしたらええか教えてよぉ」
と号泣していた。

私は身の毛がよだってしまった。

気がつけば「やめて!出ていって!頼むから!」と叫んでいた。

でもそんなことはお構いなしで「どうしたらええんや〜」と私に言い続ける。

私はヒステリーみたいになり、かなり大きな声で「あっちいって!!!」と叫びながら、姉を強制的に部屋から押し出そうとしていた。

騒ぎに気づいた母がやってきた。

「あんた!何をしてんの!」と姉をタオルでバシバシ叩いた。

そして言った。

「けいこまで狂ったらどうすんの!!!!!」

母のこの一言で場がシーンとなり、気まずい空気と共に各々の部屋へと解散した。

母の一言で私自身もいつか姉のようになってしまうんじゃないかと恐れていたことに気づいた。

そして、号泣している姉を受け入れられなかった理由が今になるとよくわかる。

「どうしたらええんや〜」と泣きたいのは私自身だったからだ。

自然療法士として起業することを甘く見ていた私は、初めたはいいけど、どうしたらいいのか全くわからなかった。

いきなり仕事部屋も借りてしまい、週に3日、派遣社員として働いていた収入でなんとかギリギリ家賃を払い、自由に使えるお金も微々たるものだった。

1000円のものを買うのにも躊躇するような日々。

自然療法士を目指す前は、ソニーミュージックの社員として長年働き、お金に困ることはまずなく、仕事もプライベートも楽しく過ごし、自尊心は守られていた。

しかし、本当にやりたいことを見つけて、大金を注ぎ込んで学校に入り、起業という茨の道を自ら選び、もう二度と戻ることはないだろうと思っていた実家に住むことになったのだ。

いろんなことを犠牲にしてやりたいことを選んだので、失敗するわけにはいかなかった。

とにかくまた自立した生活を送りたい一心だったし、しょぼい日々にプライドが傷ついていたのだと思う。

見通しの立たない不安や無力感という自分の弱さを見ないようにして、とにかく頑張らねばと気張っていたので、弱さを全面に出す姉に耐えられなかった。

つまり、自分の弱音を追い払うかのように、姉を追い払いたかったのだ。

そして弱音を吐くことを自分に許せなかったのは、「私だけは狂ってはいけない」という思いがあってのことだったとも思う。

ネガティブな感情にどっぷり浸かってしまうとおかしくなってしまうのではないかと怖かった。

その結果、ネガティブな感情を不自然に避けることでちょっとおかしくなってしまっていたと思う。

あれから15年が経ち、今私は心理コンサルタントとして、ネガティブな感情をリスペクトして人生の流れをよくしていくアプローチを行い、お客様に喜んでいただいている。

当時の自分がこれを知っていたら、目の前の姉をあんな扱いをせずに済んだだろう。

現に、今は姉のことをめちゃくちゃリスペクトしているからこそ、色々ありながらも気楽にやっていけている。

間違いなく、自分の中のネガティブな感情をあるべきものとしてリスペクトできるようになったからだ。

自分との付き合いが変われば、人との付き合いは変わる。

最初はうまくいかなかった起業だけど、5年かかってなんとか軌道に乗り、16年目に入った。

うまく秘訣は、結局はネガティブな感情から逃げないことだった。

それを姉は最初から存在で教えてくれていたが、それを悟るのに私は10年以上かかった。

だから姉にはかなわないんだよなぁ。

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