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複雑性PTSDの私と「死」

みなさんこんにちは🍀

今日は七夕ですね(*´꒳`*)

何かお願いごとはしましたか?
私は大学で短冊をかきました✎ܚ
色々書きたかったけど、欲張らず1つに絞りました。。
お願いごとは…
”病気が少しでも良くなってみんなと一緒に卒業式を迎えられますように”
と書きました🌟 叶うといいなぁ〜𓈒 𓏸 𓐍

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今日の投稿テーマは”複雑性PTSDの私と「死」”についてです。

先日、気分が上がっていたのか”今なら飛べるかも!”と思ってしまったことがありました。さすがに怖くなったので、暫く寝ることにしたら治りましたが…

今日は、そんな私が考える「死」について綴ります。

これまで何度も死にたいと思ってきました。でも、怖くて実行できなかった。実際、死ぬのが怖いというより、残された家族や友達に迷惑をかけてしまうことが怖いという感じです。
どんな死に方にしろ、結局は誰かのお世話になるだろうし、傷つく人は必ずいると思うんです。だからこそ、必死で誰にも迷惑がかからない死に方を今日まで考えてきました。でも、結局そんな死に方は存在しないことに気がついただけでした。綺麗な死に方はできないんだと悟りました。



もう死のうとするのは諦めました。
死にたいと思うことすら辞めました。


だからここに自分の死に対する考え方を書くことに決めたんです。

今まで死ねば楽になれる、こんな辛い人生に幕を閉じることができる。そう思っていたから、死に対して希望を持っていたから死にたいと感じていました。
でもふと思ったんです。”死んだら本当に楽になれるの?”と。私は死んだことがないから、死の先には何があるのかわかりません。だから、楽になりたいと思って死んでも、本当に楽になれるかはわかりません。もっと残酷なものが待っているかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それは死んだ人にしかわからない。
それなら死ぬことに意味なんてないのかもしれないと感じました。死んでも生きていてもどんな選択肢を選んでも楽にはなれないのなら、もうこのまま人生を続行するしかない。その方が、親も友達も傷つけないしいいんじゃないかと。

これまで生きていても何も良いことはなかった。単に心の傷が増えただけ。小2から何度も死にたいと思ってきたけど、”辛い経験をした先には、きっと明るい未来が待っている”とずっと少しの希望を信じてここまで生きてきました。でも、結局何もなかった。期待が裏切られただけ。残ったのは、絶望の残りの人生と病気だけでした。
期待して、信じ続けてきたからこそもう耐えられなくなった。もう信じる気力さえない。

だけど、今日も生きています。正直、どうせ生きていても何も良いことなんてないし、何のために生きているのかもわかりません。
でも、この世に生まれたからには何か意味があるのかもしれない。私の経験全てに意味があるのかもしれない。そう思っているからこそ、与えられた人生を全うしたいと感じています。

綺麗事に聞こえるかもしれないし、私の考えには賛否両論あるかもしれません。
もちろん死ぬことを否定するつもりもありません。私の人生は私にしか作れないし、あなたの人生はあなたにしか作れないから死のうが生きようが自由だと思っています。

生きることに希望や期待を持つことは、私を死に近づけているだけなんじゃないかと。
死や生に何の希望も期待も抱かず、ただ時間が経つのを待って死が来たら抗わず死ぬ。私はこれでいいんだと思ってます。
過去も今も未来も真っ暗だけど、暗闇から抜け出す必要はないし抜け出せないです。過去は変えられないから。だけど、同じ暗闇でも過ごし方は変えられる。死にたい死にたいと思って過ごすか、未来に希望を抱いて過ごすか、過去ばかりを振り返って過ごすか、この経験を受け入れ小さな幸せに気づきながら過ごすか。何でもいいけど、苦しいなら死ぬのではなくて苦しくないように生きるしかないと思っています。


死んでも生きていても苦しいなら、苦しいと思わず今を味わう。それでいいんだと思います。


私は、”何で私には幸せが訪れないんだろう”と思ってました。でも、どん底を味わって生きてきたからこそ、みんなが幸せと思えないことにも大袈裟に喜べるし、人よりちょっと優しい言葉がかけられるようになりました。
神様は何も理由がないのに人を苦しめたりしない。きっと苦しむのにも意味がある。そう思っています。


これがどん底人生の末に行き着いた答えでした。

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